作成者別アーカイブ: wistaria42335

日 曜 日 の 朝

2月、最後の日曜日の朝のことである。TBSテレビでは「げんきの時間」を放映していた。テーマは「身体の不思議」である。その中で、「(手の)爪は何のためにあるのか?」という質問を街頭で受けていた中年のご婦人が、、「(缶コーヒーや缶ビールなどの)プルトップを引き上げるため」と回答していた。なかなかの迷回答である。

私は咄嗟に落語のマクラを思い出した。どんな噺家だったかは覚えていないが、yjimage[4]与太郎の「馬の顔はどうしてあんなに長いんでしょうかネ?」という問いかけに対して、旦那は「そりゃお前、飼葉桶(カイバオケ・牛馬に飼料を与えるオケ)の底が深いからだよ」といった珍解答で応じる話である。すると与太郎は、「それじゃあ旦那さん!馬が生まれる前から飼葉桶はあったんですかい?」というやり取りの場面である。前出のご婦人を引き合いに出させてもらえば、人間の爪よりプルトップが先に存在したことになる。

話は変わるが、北海道大学大学院准教授の長谷川英祐先生は、「働かないアリに意義がある」の著書を発刊されている。働かないアリは、アリの社会の維持に不可欠であり、働かないアリだけで集団を作ると、やがて働くアリが現れると記されている。この傾向は、アリに限らず、ハチやアブラムシの一部、哺乳類のハダカデバネズミといった「真社会性生物」の世界にも存在するらしい。yjimageUJ8UGFRY

一方、巷間よく使われている法則に「2-6-2」というものがある。つまり、グループの優劣は2割の優秀なグループ、6割の普通のグループ、そして2割の周囲の人について行けないグループに分けられるという法則である。企業とすれば、また経営者とすればこの上位2割の「人材」が欲しいわけである。しかし、この上位2割の「人財」を採用したとしても、このグループはやがて2-6-2にグループ化する。また、下位2割の手の掛るグループだけで仕事をさせてみると、この2割のグループもやがては2-6-2にグループ化されるという法則である。

この2-6-2にグループ化する根拠は、長谷川先生の論を借りれば、「反応閾値」なのではないだろうか? つまり。仕事や勉学に対する腰の軽さやフットワークの良さの個体差ではないだろうか?

鄧小平は「先冨論」でこう言っている。「豊かになれる人からなればいい。そしたらみんなが後に続く」 この論を借りれば、まず「優秀な2割」に重要な仕事や権限を与え、この2割をエリート化し、豊かにさせましょう、ということになる。

しかし、2014年・NGOオックスファムの発表によれば、世界最富裕層85人の資産総額が下層の85億人(世界の人口の半分)相当すると発表している。現在の地球上では、この貧富の差はさらに拡大しつつある。このような人間の世界を、アリさんやハチさんはどう見ているのだろうか・・・。

伊藤 克之

新聞記事拾い読み

いつの日であったか、作家の曽野綾子さんが「どんな雑誌にも、出版物にも、多くの場合初版には誤植があっても仕方がないのだが、時刻表には、どんな改正直後にも誤植がないらしい」とコラム(産経新聞・小さな親切、大きなお世話)に書いておられた。現在は定かではないが、ベストセラーにとまで言われ、活字の数が天文学的に多き時刻表に誤植が無いということは驚きである。

それに引き替え、インターネットを辞書代わりに使い、キーボードを鉛筆やペン代わりに駆使している現代人は、ちょっとしたことで変換ミスを犯す。耳鼻咽喉科(耳鼻淫行科)、厚顔無恥(睾丸無知)、生徒会館(性と会館)、経済波及効果(経済は急降下)等々である。yjimage6FJR3SLXこうなると、日銀・黒田総裁が唱えるマイナス金利も個人預金にまで波及するのではないかと思い込み、タンス預金者が増え、果ては空き巣の思う壺となってしまう。

死んでしまいそう→新弟子埋葬

初乗車の加藤さん→発情者の下等さん

あなたの顔、何回も見たい→あなたの顔、なんか芋みたい

何かと胡散臭いときがある→何か父さん臭うときがある

上手くいかない画像サイズ→馬食い家内が象サイズ(こうなると家庭不和につながる)

クイズ番組でテロップに「正解は金です」とながすつもりが、「政界は金(カネ)です」と言ったミスともなると、まさに今の国会・国会議員のありさまを予言したようにも思える。

話は大きく変わるが、昨年暮れの日本経済新聞に「古紙輸出、鉄より高値」-製紙原料となる古紙(段ボール古紙)の輸出価格が、製鉄原料となる鉄スクラップより高くなっている-とあった。これも私にも驚きである。

我が家で私に課せられた仕事の一つに、新聞等の古紙やダンボールの片付けがある。ダンボールと言っても「赤めだか」に出てくる立川ダンボールでもなければ、東北地方で造られたダンボルニーギでもない。波状に加工した紙の表裏をシート(板状)の紙に挟んで接着し、強度を増した厚紙である。yjimageJGSACPZY私はこのダンボールで作られた箱を解体して、できる限り薄く折り畳み、量(カサ)を減らし、積層したのちビニール紐でくくる仕事を、月に1,2回課せられているのである。最近通信販売での買い物が多く、購入した書籍、食品、薬品、医療用材料等の荷物は、ことごとくダンボール箱に詰められて送られてくるので結構な仕事量になる。盆暮れの時期になると、この解体・片付け作業の量はさらに増加する。

しかし私は、いつもダンボール箱を解体しながら、これを送ってくださった方達のことを再度思い浮かべて感謝申し上げるとともに、ダンボール箱を作って下さっている方達にも感謝と尊敬の気持ちを怠らない。何故ならば、いかにダンボールを無駄にしないで(切り屑を出さないで)箱や入れる品物にあった間仕切りを作るか、そして解体するときにはいかに容易に板状になるかを考えて設計してくださっているからである。たかがダンボール、されどダンボールである。消費者と対面行為のないところで、消費者のことを思ってダンボール箱の設計に智恵を絞っていらっしゃる人々に拍手を送りたい心境である。

気軽にキーボードをたたいて誤字・脱字の文章を作っている自分が恥ずかしく思われて仕方がない今日この頃である。

伊藤 克之

新 春 雑 感

2016年という新しい年がスタートした。今年は4日が月曜日ということもあって、仕事始め早々からスロットル全開を余儀なくされた人も多かったことであろう。

松過ぎの 又も光陰 矢の如し (虚子)

正月と言えば昔は、凧揚げ、羽根つき、独楽廻しyjimage[1]と言った風情を感じられる遊びが多くあったが、昨今は福袋の買い出し、スマホでのゲーム、暇を持て余す人はパチンコに精を出すことが多くなり、お正月に味わう「おせち料理」も宅配便で取り寄せる家庭が増加したと、運送業の人は語る。

冬と言えば「炬燵」こたつと言えばみかんが連想される。こたつに入って家族みんなで会話を楽しみ、年長者から昔のしきたりや地域の風習、行事のいわれを聞く機会は、当の昔に消滅してしまった。近所の子供たちが集まって、「かるた」で遊んだことも懐かしい思い出となってしまった。斯く言う私も、お煎餅をかじりながら本文を書いているのである。

かるたで印象が深いのが、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての約600年間の秀歌を集めた「小倉百人一首」である。この100選歌の43%は「恋の歌」だそうである。小学生になるかならないかの時期に、意味も解らず競って百人一首を覚えようと努力した自分をいま振り返ると、どこか違和感を覚える。yjimage[3]

恋い焦がれる女性に、己の心情を歌に詠んで訴える。それも何度も何度も・・・。私の青春時代であれば「逢いたい気持ちがままならぬ・・・」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ・小樽のひとよ)であり、現代の若者ならばメール一本で完了であろう。「わたし貴方がすき家、だから松屋、でもやっぱり吉野家」で終わりである。当時はまさにのんびりとした、風情のある女性上位の時代であった。

和歌も詠めず、パソコンのメールでしか人間関係が構築できない今の若者が、付け文・恋文とまでは言わなくても、ラブレターを書いたらどんなことになるのであろう。

『こなだこなだ』(こないだはこないだはね)

『へそかゆくて』(忙しくて)

『ろくまくおかし、八銭ですみました』(ろくろくお構いしなくてスイマセンでした)

『そのときはながたけさんくだりて』(その時バナナ沢山くださりて)

『苦しかったわよ』(嬉しかったわよ)

『すぐにわかやまにもちかえり』(直ぐに我が家に持ち帰り)

『仏壇へそなめた』(仏壇に供えたわ)

『こんどきたとき、ミシンがないが、したてるわ』(今度来た時、シミジミ話がしたいわ)

『こんどのひよびに、てにてをつないであべこべいくよ』(今度の日曜日、手に手を取って、アベックで行こうよ)

『あなたははたけのたにしだわ』(あなたは私の彼氏だわ) 【痴楽綴り方教室より】

わたしもまた一つ齢(よわい)を重ねてしまった。  たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松もむかしの 友ならなくに (藤原興風)

伊藤 克之

 

 

ややこしい時代

今朝の天声人語欄は、名前に関する記述内容であった。yjimage216LI8ZOそれによると、今年生まれた赤ちゃんの名前ランキングでは男児の1位は大翔くん、女児の1位は葵ちゃんと書き、それぞれ「ひろと」「やまと」「はると」と読み、女児は「あおい」「ひまわり」「あお」と読むのだそうである。近年は、子供たちに凝った名前を付ける家庭が増え、私は小学校や中学校の先生方にいつも同情している。ちなみに、「子」のつく名前は100位までに莉子、結子、菜々子の三つが入っただけだそうである。

 

高齢の太った有閑マダムが犬を抱っこして散歩していた。すると、すれ違った男性が、「豚を連れて、今日はどちらにお出かけ?」と尋ねた。すると、マダムは、

「失礼ネ! これは犬よ!」と怒った。すると男性は、涼しい顔をして、

「俺は犬に話しかけたんだ!」

出典は忘れたが、私の記憶に強く残っているジョークである。

 

腹を空かした男性が帰宅したのに、夕食の支度がされていなかった。頭に来た男は妻に食ってかかった。

「そういうことなら俺はレストランに行くよ」

妻はけろりとしたもの、

「お願い、十分だけ時間をちょうだい」

男は気を取り直して、語気を改めて、

「すまないネ、すぐに料理を作ってくれるのかね?」

「そうじゃないのよ、顔をつくる時間が欲しいの。私もご一緒するから」(ジョーク・ユーモア・エスプリ大辞典・野内良三著)

 

男は死に、気づいたら、ふわふわした雲の上に浮かんでいた。辺りは無人で物音一つしなかった。男は心細くなって叫んだ。

「誰かいるかあ?」

間もなく白装束の番人が現れ、男に向かって問いかけた。

「何かお望みか?」

「何がもらえるんだい?」

「ここでは欲しいものは何でも与えられる」

「じゃあ何か食わしてくれ」

「どんな料理をお望みかな?言ってくれればなんでも用意する」

男はたらふく食い、惰眠をむさぼり、贅沢三昧の日々を送ることに。やがて、与えられてばかりいることに飽き、別の贅沢がしたくなった。

「何か自分でやってみたいんだ」

「残念ながら、ここでは欲しいものはもらえるが、自分でやったり作ったりはできないんだ」

番人の説明に男は憤った。

「欲しいものを与えられてばかりいたら頭がおかしくなりそうだ。だったら、おれを地獄に移してくれ」

「おまえさんは、ここが地獄だというのを知らなかったのかね」(これが本当のジョーク世界一・天馬龍行編)

 

今年も残り少なくなって参りました。師走とは言え走ることなく、来年も明るく陽気に行きましょうyjimageRD67SEY7

伊藤 克之

ういすたりあ秋祭り

山々が赤や黄色に色づきはじめ、いよいよ紅葉シーズン到来ですね。皆様、いかがお過ごしでしょうか。ういすたりあでデイサービスの担当をしている加藤と申します。

さて、秋といえば、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋ですね。私の勤めている、ういすたりあの秋といえば、施設の大イベント『ういすたりあ秋祭り』と『デイサービスの大運動会』です。今回のブログでは、秋祭りの様子を皆様にお伝えしたいと思います。

今年は二か月前程から実行委員会を中心に準備を始め、プログラム、模擬店で出す食べ物の内容、ボランティアさんの手配、飾り付けと、入念な打ち合わせを重ね、当日を待ち構えていたのですが、前日の土曜日から、何やら空の雲行きが怪しくなり・・・とうとう、

「加藤さん、明日、雨の予報が出ちゃったよ~」と利用者さんからの声が・・・       当日はまさかの小雨模様となってしまいました。

お祭りの会場はデイルームなのですが、模擬店は外のベランダに屋台を組むので、雨が降ったら、職員は濡れながら売り子をしなければなりません・・(- -;)あわててビニールシートを用意しましたが、雨はお祭りの途中で止んでくれました。よかった・・・。ほっとひと安心・・・。

また、今年は 模擬店の数を増やし、メニュー豊富な内容にしてみました。やきそば、やきとり、焼き芋、おでん、とん汁、いなり寿司は定番ですが、新しく、フランクフルト、チョコバナナ、ソフトクリーム、カレーライスを用意しました。チョコバナナは職員が前日に作りました。どれが完売になるか楽しみにしていたのですが、今年は売れ行きが良く、とん汁とカレー以外はすべて完売!早々に売れたものもあり、驚いてしまいました。DSC03880

お食事の後は、依頼をしていたボランティアさん方の演芸タイムです。今回は豪華三本立て。まず、今年の夏休みにういすたりあで職場実習をしていた高校生の山田くんによるウクレレの演奏、ヘルパーの上村さんとご友人によるフラダンス、そして、湘南和太鼓グループ「絆」の皆様による和太鼓演奏を参加者の皆様にお楽しみいただきました。DSC_0956[1]

私は初めて和太鼓を目にしたのですが、音が想像以上に大きく、驚きました。心臓に響くんですね・・・。耳を少し塞ぎながら演奏を聴かれる参加者の方もいました。和太鼓の演奏に感動して涙する方もチラホラ・・・。ボランティアの皆様、素敵な演奏、踊りをありがとうございました!DSC03870

今年は新しい取り組みとして、NPO法人麦の家様、えぽっくハウス様にもご協力をいただき、草木染めの雑貨品や手作り鉢植えを即売品コーナーにて販売を行いました。「かわいいね」と大好評でした。

今回の秋祭りはボランティアの皆様のご協力なくしては成り立たなかったと思っています。演芸ボランティアの皆様、職員のご家族様、また元職員さん数名にも、声をかけさせていただきました。

皆様、ういすたりあ秋祭りを支えて頂き、誠にありがとうございました。

デイサービス  加藤 康子

七 五 三

yjimage2IA17NLU 11月と言えば? 1000人に聞いたそうである。1位・七五三、2位・文化祭、3位にボジョレーヌーヴォーがきて、4位に紅葉と続くのだそうである。

物の始まりが一ならば、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打の始まりは熊坂の長範、兄(二)さん寄ってらっしゃいは吉原のカブ、産(三)で死んだが三島のおせん、四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水・・・。有名な寅さんの啖呵売の口上であるが、1,2,3,4と続く数字の中でも、日本人には奇数の数字が好まれているように思える。これは中国思想の流れを汲む「陽数(奇数)は縁起の良い数字」という考え方から来ているのかもしれない。

また、日本では奇数は割り切れないので縁起のいい数字だと珍重されている。奇数になぞらえた言葉には、日本三景(松島、天の橋立、安芸の宮島)があれば、三大庭園(金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園)もあり、三大がっかり(札幌の時計台、高知のはりやま橋、沖縄の守礼の門、(長崎のオランダ坂という説もある))も存在する。かつては王選手の1、長嶋選手の3という背番号の奇数字も巷に氾濫した。銭湯の下足札も1や3はいつも最初になくなっていた。野球のルールに用いられる数字も奇数が多い。1チーム9人、1試合9イニング、3ストライクで1アウト、3アウトでチェンジ等である。

春や秋の七草が季節感を醸し出せば、恵比須、布袋、福禄寿、寿老人、大黒天、毘沙門天、弁財天と言った七福神も尊ばれている。ラッキーセブン、世界七不思議と言った言葉も耳慣れた単語となっている。故人を供養する法要も初七日、四十九日、一周忌・・・となっている。

話を七五三の起源に戻そう。昔の村落には、生まれた子どもはすぐには村の構成員として認められず、ある年齢になって初めて、村落共同体の一員として認められるようになるという掟(おきて)や取り決めがありました。その年齢が女児は三歳、男児は五歳でした。また、七歳は幼児から少年少女への折り目だと考えられていました。そして人別帳や氏子の登録も三歳を過ぎ七歳ぐらいまでの間に行われました。(筆者註:当時は乳幼児死亡率が高かったことが大きな原因と考えられる)これでやっと村の子ども組に参加できるようになり、村の中での権利と義務が生じてくるようになったのです。

武家社会になると五歳になった男児は、「袴着(はかまぎ)」、七歳になった女児は「帯解き(おびとき)」の祝いをする習慣も生まれた。また、鎌倉時代以降になると、公家では二歳、武家では三歳に「髪置き(かみおき)」の祝いを行いました。これは赤ちゃん時代から行っていた髪を剃って短いままだった子どもの髪を伸ばし始める儀式です。

そしてこれを武家では十一月十五日に行って、それは室町から江戸時代まで行われていますが、この習慣が民間に広く伝わったようです。(雑学大百科・三公社刊)

また、七五三は三歳で言葉を授かり、五歳で智恵を授かり、七歳で歯を授かることを神に感謝する儀式とも言われている。yjimageS3G9VGNE何はともあれ、七五三は古くから日本に根付いた祝い事なのである。千歳飴を食べながら、我が子の健やかなる成長と長寿を祝ってあげようではありませんか。

伊藤 克之

京都駆け足旅行

♫京都大原三千院 恋に疲れた女がひとり 結城に塩瀬の素病の帯が 池の水面にゆれていた・・・♫。 永六輔の詞にいずみたくが曲を付け、デューク・エイセスが唄った名曲である。

小雨のそぼ降る中、紅葉にはまだ早い大原三千院を訪れた。大原の地には千有余年前より魚山と呼ばれ、仏教音楽の発祥の地だそうである。三千院は京都市街からバスで1時間弱かかり、小浜に抜ける国道367号線から少し入ったところにある。国道367号線は「鯖街道」とも呼ばれ、小浜湾で獲れた海産物などを京に運ぶために使われた街道だそうである。特に京では小浜の鯖が好まれたことから、この呼び名が付いたといわれている。

DSC_0814 - コピー

*『苔庭で可愛く首をかしげる“わらべ地蔵さん”』

 

三千院門跡は山号を魚山と呼び、開祖は最澄、ご本尊には薬師如来を祀る、天台宗五箇室門跡の一つである。往生極楽院に納められている国宝・阿弥陀如来の両脇には日本式の正座をした両脇侍が跪き、特異な姿を見せていた。

私が約40年前に訪れたときに、確か客殿に掲げられてあった「洗除無垢」の書に出会えなかったのは非常に残念であったが、他の場所に掲げられていた「無己利他」の書に出会えたのは幸運であった。DSC_0816 - コピー何故ならば、「ういすたりあ施設内研修」でシリーズ開催していた「人間力向上研修」の中で講師が説かれた「自喜喜他の心」(見返りを期待せず、常に「人の喜ぶこと」「人が感動すること」「人のためになること」を自らの喜びとし、それを具体的な「形」に表していくと、その人には“人間的魅力”という見返りとともに、“限りない感動”が訪れるという意味)という言葉を思い出し、まさに「自喜喜他」が「無己利他」の現代版の教えと思えたからである。

「恋に疲れた和服の女」には出会えなかったが、「心を満たす書」に出会えて幸運だったと思っている。

翌日は電車を使って「渡月橋」「天龍寺」そして今テレビコマーシャルによく出てくる「竹林の道」を回った。天龍寺では「大方丈(方丈は住職の居室の意)」の広い縁側に腰を下ろし、眼前の「曹源池」の景観に見とれている多くの外国観光客の姿があった。事実、私も素晴らしい景観を堪能させていただいた。DSC_0831 - コピー

しかし、瞳の色が異なる外人さんたちには、この素晴らしい景色が、私の観たものと同じように映っているのだろうか?

『目はカメラにたとえられますが、カメラの絞りに当たるのが虹彩です。虹彩は、目を正面から見たときに黒目の中に見える部分です。虹彩の真ん中には、光を通すための瞳孔という窓があります。虹彩にはメラニン色素が含まれており、色素が多いと黒や茶色、少ないと青や緑色の瞳になります。

それでは、目の色によって見え方は違うのでしょうか? 厳密には、光が反射して目に入る量が違うので微妙に色が違って見えると思います。しかし、普通に物を見る分には、色や見え方にそれほどの違いはないのです。なぜなら、色を識別するのは網膜だからです。

実は、哺乳類の中で色鮮やかな世界を楽しんでいるのは、人間とサルだけだそうである。例えば犬や猫には色を感じる錐体(色を識別する視細胞の一つ)がないので、モノトーンに近い世界を見ているのである。』(坂井建夫・面白くて眠れなくなる人体)

ニャンともおきのドッグな世界である。

伊藤 克之

酒(焼酎)談義

猛暑の日が長く続き、夏の日差しに閉口していると、突然曇りや雨模様の日が半月以上も続き、その最後には莫大な量の雨が降り、鬼怒川の堤防は決壊しその周辺に甚大の被害をもたらした。朝起きて澄んだ青空の向こうに富士山を望むことができたような気がする。すぐに、秋の季節が訪れてくれても大歓迎である。秋が肌で感じられれば、私はいつでもビールから酒・焼酎への衣替え(?)の準備はできている。

酒といえば、宮崎県日向市出身の若山牧水が頭に浮かぶ。酒を愛し、旅を愛し、自然を愛した国民的歌人、若山牧水である。彼は若山家の長男であるがゆえに、父の後を継いで医者の道に進むのか、文学の道に進むのか、進路についてはかなり悩んだそうである。しかし、どうしても文学の道を捨てきれず、牧水は早稲田大学文学部に入学したのであった。

yjimageOY4J1CAH「幾山河 超えさり行かば寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」の歌は有名であるが、私は「白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり」といった歌も忘れ難い。

酒といえば一番先に頭に浮かぶのが「日本酒」であろう。冷酒で飲む日本酒は別格である。しかし、秋が過ぎ冬になると熱燗も捨て難い。とは言うものの、現在「糖尿病予備軍」と主治医に脅かされている私は、いまは焼酎を愛飲している。それも奄美諸島特産の「黒糖焼酎」をロックで。

戦中は酒も配給制になり、水で薄めて(所謂「金魚酒」)飲んだ人も多かったという。

独り酌む この薄酒のひや酒も のめば酔うもの 水よりは濃き(岡本大無)

私の持論であるが、酒・アルコール類は生一本で飲むべきだと思っている。それを水やお湯、炭酸水や清涼飲料水等で割って飲むのは、酒の本当の味が解らないどころか贅沢な飲み方だと思っている。

黒糖焼酎は、その名の通り黒糖を主原料とした焼酎であるが、ラム酒との違いは米麹を使っているか否かだけだそうである。黒糖は本来、米麹なしにアルコールを生成できる。しかし、黒糖焼酎の条件は米麹を使用することである。米麹を使わないと、サトウキビが原料の蒸留酒であるラム酒と同じ酒になり、酒税法上もスピリッツ(アルコール度数が45度以上)扱いになってしまうからだそうである。これらの酒類が消費税10%増税時には、負担軽減税率の対象から除外されそうである。なんとも寂しい限りである。

しかし、仲間外れにされても焼酎をロックで美味しく飲んで、その憂さを晴らそうではありませんか。yjimage2VZGK2FHその秘訣は、「まずい」うえに「溶けやすい」冷蔵庫の氷ではなく、美味しい氷を使うことである。コンビニなどでも手に入るロックアイスを使うのである。

そしてロックグラスに大きめの氷を入れたら、焼酎を注ぐ前にグラスの氷をスプーンなどでステアし、溶けた水を捨てる。こうするとグラス内面の表面温度が下がるため、この先、氷がゆっくり溶けるようになる。焼酎を注ぐときには、氷にゆっくり当てるように注ぐ。こうすることで常温の焼酎を冷やしながら注ぐことができる。濃く深い味わいの焼酎を、溶けた水でゆっくりとなじませて飲むロック。時間を楽しむように、粋に行きたいものである。《焼酎の基本・枻(えい)出版社》

私のブログの読者の一人に田城さん(女性)が居られる。田城さんは、平塚・明石町で「食彩酒房・あおば」も経営なさっている。この生意気な拙文を読んで、次回の入店を断られなければとヒヤヒヤしながら筆を置く。

伊藤 克之

チームアプローチ

こんにちは。ういすたりあで、3月から居宅介護支援事業所でケアマネージャーをしている大滝です。今回は、高齢者支援における、チームアプローチについて、お話させていただきます。

利用者様の抱える様々なニーズに効果的に応えるため、多職種の援助者がチームを組んで関わる援助の方法をチームアプローチと言いますが、この多職種による関わり合いにより、利用者のニーズが、様々な視点で、把握、分析、判断されるという長所があります。

チームアプローチの展開方法としては、初めにアセスメントを行い、ケアプラン原案を作成します。ここにおいても、高齢者は複数のニーズ、もしくは、未だ見えていないニーズを抱えていることもあるため、他の職種と連携し、本人や家族の意向を確認しながらケアプランに反映させなければなりません。中には、ご自分でニーズがわかっていても、認めない方もいらっしゃいます。

次に、サービス担当者会議を開催し、総合的な援助方針や、長期、短期における目標の確認、支援に関わる人の役割分担等を確認していきます。そのうえで、本人の同意を得て、サービスがスタートします。image[3]

サービスが開始されたら、支援やサービス状況の確認、利用者及び家族の状況確認、サービスの過不足がないか、目標の達成状況確認といったことを各職種でモニタリングしていく。と、いった流れが、チームアプローチの展開となります。

チームアプローチの課題としては、支援方法の意思統一といった点が、まず挙げられます。ゴールをどこに設定するのか、そこへたどり着くため、見逃してはいけないこと、逆に目をつぶらなければならないこと。

関係者の意思が統一されていなければ、ぶれてしまいます。

達成すべき目標や解決すべき状況を目指して協力することがチームの意義であります。

 

私自身、チームアプローチをしながら思うことは、「毎回チームの皆さんに、座学では学べない色々なことを教えていただいている」と、感謝の気持ちです。

これからも他職種の方々と、時には意見をぶつけ合いながら切磋琢磨し、ケアマネージャーとしての力量を上げていきたいと思います。

それが結果として、よい支援につながっていくのではないでしょうか。yjimage[9]

最後に、これまでチームを組んでいろいろ教えてくださった皆様。本当にありがとうございました。

そして、これからチームを組んでくださる皆様。まだまだ力量不足ではありますが、ご指導の程、お願い申し上げます。

終戦記念日と褌

歳を取ると物忘れが激しくなる。ましてや7月末から今日にかけてのように、連続猛暑日が続くと、この現象はさらに激しくなる。「まず人の名を忘れ、次に顔を忘れる。それからチャックを上げるのを忘れ、次にチャックを下すのを忘れる」
カーディナルスやドジャースのマネージャーとして米国大リーグの発展に貢献したブランチ・リッキーの名言である。

私がモノの名前を忘れなくても、モノの呼び名が変わってしまうものやモノそのものが他のモノにとってかわられたり、なくなってしまうモノが多々ある。消費者物価指数の調査品目は、現在588品目であるがこれも5年ごとに見直されている。1960年には「三種の神器」といわれたテレビ、冷蔵庫が加わり、マッチ、わら半紙が外された。1990年にはワープロ、コンタクトレンズが加わり、2000年にはカセットテープと2層式洗濯機が外れた。(神奈川新聞・照明灯)

同じ部屋をさすのに祖母は「お勝手」母は「台所」娘は「キッチン」と呼ぶ。親は「ピンポン」をしているつもりでも、子供たちは「卓球」をしているという。(早稲田大学名誉教授・中村明)これらはモノそのものではなく、時代の変化に付随した「呼称の変遷」であろう。

この暑い時期に、私が何より羨ましく思うのは、女性のミニスカート、ホットパンツ姿である。「涼しくていいだろナァー」
このホットパンツも昔は「ブルマー」「ショートパンツ」「短パン」とか呼んだのではないだろうか?yjimageG5KEDUHN「サルマタ」がいつの間にか「パンツ」「ブリーフ」「ショーツ」になり、「パンツ姿で外を歩けない」と思っていたら、いつの間にか「ズボン」が「パンツ」に代わっていた。「Gパン」も「ジーンズ」と呼ばれるようになっていた。

しかし、考えてみたら男性にも暑さ凌ぎの武器?があった。「褌・フンドシ」である。これさえも「越中ふんどし」「六尺ふんどし」があり、医療分野では「衛生帯」と呼ぶ。伝統的な祭りの行事や神輿を担ぐときなどは「締め込み」といい、相撲の世界では「まわし」と呼ぶ。
「越中フンドシ」は股間が涼しくてよい。涼しいばかりではない。「前垂れ」の部分は、用をたし、手を洗った後の「手拭き」にはもってこいである。そればかりではない。太平洋戦争末期、沖縄では住民を巻き込んだ地上戦が3か月にも及んだ。「白旗の少女」として知られる比嘉富子さんは避難先の洞窟で出会った老夫婦が作ってくれた白旗を掲げ米軍に投降する。この「白旗」こそが「フンドシを裂いて作った」ものであった。

肉親や兄を亡くし、姉妹ともはぐれ、死体だらけの川の水を飲み、一人で生きながらえてきた比嘉さんには、自分が生きていることへの良心の呵責があったという。当時沖縄では、米軍の捕虜になることを嫌い、自決や断崖絶壁からの投身自殺、肉親が肉親の命を絶つことが行われていたからである。比嘉さんに「白旗」を作ってくれた老夫婦はどうなったのであろうか・・・

8月15日は我が国の終戦記念日である。yjimageS5NST322

伊藤 克之