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後期高齢者の厄年

コロナ禍が続く令和3年の正月、初詣は東京都府中市にある大國魂神社に行った。大國魂神社は、大国魂大神(おおくにたまのおおみかみ)を武蔵国の守り神としてお祀りした神社である。この大神は、出雲の大国主神御同神で、福神又は縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様とされている。hatsumoude_couple

私はコロナ対策として、密閉、密集、密接の三密を避ける意味からこの神社を選んだのであるが、もう一つの理由もあった。それは昨年末にベトナムから技能実習生として来日し、2週間の隔離期間を終えたばかりの4名のお嬢さん方に日本の正月の一部でも味わってもらおうとの考えもあっての初詣であった。

例年に比べると、比較的すいていた神社でお参りを済ませ、彼女たちと昼食を食べているときのことである。なぜか私の右下腹部にシクシク痛む感覚を覚えた。寒さ対策は十二分にしてきたつもりであるので、60年前に手術した虫垂炎の古傷が癒着でもしたのかな?くらいに思っていた。でも何かすっきりしない予感が脳裏をよぎっていた。

ベトナムからの技能実習生を宿舎に送り届け、我が家に帰ってゆっくり湯船に浸かりながら右下鼠径部に手を当てると、そこには大きな膨隆ができていた。しかし、その膨隆部を優しく押すと、その膨らみは消失するのである。とっさに私は直感した。出たな!まさかこの年になって、思いもよらなかった鼠径ヘルニアが出るなんて・・・。

鼠径ヘルニアは、自然治癒はなく、手術によって筋膜を補強するメッシュを入れ、鼠径管に腸が入り込まないようにしなければならない。インターネットを駆使して、早速医療機関探しに取り掛かったが、コロナに関する緊急事態宣言は発令されているし、混み合っている電車やバスは乗りたくないし・・・。しかし長く放置をしすぎて腸が周囲の筋肉で締め付けられて押しても戻らない「嵌頓状態」になってしまい、緊急手術になるのも怖いし・・・。

いろいろ迷っているうちに、今度は帯状疱疹を発病してしまった。時期は4月上旬のことである。発症部位はほとんど右腕に限局されていたが、痛みと赤い斑点、そして水膨れには閉口した。特に疼痛にはひどく悩まされた。飲み薬を塗り薬を皮膚科の先生に処方してもらい約2週間で峠は越えたが、帯状疱疹特有の症状がダラダラと続き、寛解するまでは難儀をさせられた。

帯状疱疹は、加齢などによる免疫力の低下が発症の原因であり、80歳までに約3人に1人が発症すると言われている。疲労やストレスなども発症のきっかけになると言われているので、職場では「疲労が原因で帯状疱疹に罹った」「ストレスが多くてヘルペスが発症した」等々、声を大にして吹聴したが、同調し、労い、憐れんでくれる職員はいなかった。寂しい限りである。老兵は消え去るのみなのであろうか・・・。

話を本題に戻そう。新型コロナウイルスにおける「緊急事態宣言」が発令されている中、意を決して「鼠径ヘルニア手術」を敢行した。敢行と言っても手術を行うのは医師であり、私はただひたすら寝ていればいいのである。あえて言えば「俎上の鯉」である。

術式は全身麻酔下における「腹腔鏡手術」。5月17日の朝、8時30分前にクリニックに着いてしまった私は、建物の周囲を探索していると、出勤してきた病院スタッフに出くわした。私が何か迷って、探し物をしているかのように見えたのであろうか、病院スタッフは、

「どうされましたか?」と声をかけてきてくれた。

「今日はOpe.なんです。ちょっと早く着きすぎてしまったので・・・」

「そうですか、では一緒に行きましょう。手術の時間はそれほどかかりませんし、ちょっと休んで、午後にはお帰りになることができますからネ。心配はいりませんヨ!」と手術室のある階まで私を案内してくれた。iryou_doctor_nurse

3階に上がり、受付をすますと麻酔医の先生が挨拶に見えた。

「本日、担当をさせていただきます麻酔医の〇〇です」と、椅子に座っていた私に目線を合わせるように、片膝をついて挨拶をされた。

「今日はお世話になります。よろしくお願いします」と、挨拶を交わしたのち、更衣室に案内された。ここで手術衣に着替えて手術前の処置室に通された。ベッドに横たわり、右指にパルスオキシメーターを付けられ、左腕の静脈に小さな注射針を挿入されたところまでは覚えているのではあるが、私の記憶はここで途絶えてしまった。時間的には9時頃であったと思われる。

どれくらい時間が経過したのであろうか?私の腹時計からすると正午ごろだったと思われる。覚醒すると同時に私の思考回路は手術前と全く同じように駆動していた。それから1時間?くらいは唯々仰臥しているだけのリカバリータイムであった。私にとってこの時間は、ただひたすらに考えることに没頭できる貴重な時間であった。bed_boy_sleep家庭のこと、仕事のこと、執刀してくださった先生の人柄の良さ、朝挨拶に来てくれた麻酔担当の先生の礼儀正しさ、朝声をかけてくれて私の不安を和らげてくれた病院スタッフの女性のこと、お世話になっているクリニックのスタッフの皆さんの親切で優しい人柄、さらには38歳で手術中に逝ってしまった私の弟のこと等々。

やがて看護師さんから声がかかり、覚醒の状態を確認された後、私は私服に着替えて担当医の術後診察を受けて帰宅の途に就いた。時刻は午後の1時半頃と記憶している。

主治医の先生からは、「様態は如何ですか?」と尋ねられたが、術後の痛みはほとんど感じられず、ただ「目の中にゴミが入っているように痛いです」と訴えて、術後の服薬剤に加えて、目薬も処方してもらった。目の痛みは麻酔の影響で交感神経が働き、アドレナリン分泌が促され、一時的に涙腺の涙を作る運動が鈍くなったために起こった現象ではないかと思っている。

一人で電車、バスを乗り継いで帰宅した後も術後の痛みは感じられず、家に帰りまたひと眠りしたことによって、目の渇きによる痛みも消失していた。

まだ、自転車に乗ったり、重い荷物を持ったりすることは禁止されているが、これも術後1カ月の検診で解除されることであろう。

しかし、今まで健康には自信があった私が半年間に二つも疾病を抱え難儀するとは思ってもみなかった。これが加齢のなせる因果なのであろうか?この二つの闘病が私の災難仕舞いになるのか、「二度あることは三度ある」に繋がるのか・・・。いづれにしても私は「ピンピンころり」で人生を全うしたいと考えている。

伊藤 克之

 

初鰹とホトトギス

5日のこどもの日が最後の休日となったゴールデンウイークが終了した。コロナ禍の影響で、今年は消化不良を抱えたようなGWであった。読者の皆さんもきっと同様のストレスを感じて過ごされたのではないだろうかと推察している。

我が国において、外国人を含む14歳以下の子どもの数は、前年より19万人少ない1493万人で、40年連続で減少している。新型コロナウイルス禍の2020年の出生数は過去最少であった。徳川幕府の第11代将軍・家斉の子どもの数は50人を優に超えたが、成人できたのは約半数だったと言われている。

当時に比べれば医療、経済水準、衛生、福祉がダントツに向上し、世界でトップレベルの乳児死亡率(年間の1000出生数あたりの生後1年未満の死亡数)を誇っている日本であっても、子供人口の減少には歯止めがかからないのが現状である。(参考資料2021.5.5.編集手帖)要するに、これは出生率の低下が大きなネックとなっている。

また、桜の盛りが終わりさわやかな若葉・青葉の5月になると、4b2422b1e310a68339072e29ee6c8492_t_jpegいつも脳裏をよぎるのが「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」の、江戸中期の俳人・山口素堂の句である。初夏の季節感を視覚、聴覚、味覚でとらえ、季語を3つも入れたこの句は、春から初夏への季節の変化を最も象徴的に表すものの典型とされている。

桜は咲いてもすぐに散る。ホトトギスは山からやってきても「あっ」という間に帰っていく。ホトトギスには時鳥、不如帰、杜鵑、蜀魂、子規、郭公、冥途鳥、無常島、魂迎鳥、夕影鳥、恋し鳥、沓手鳥、霍公鳥、杜宇、等々の字が使われている。「キョッキョ キョカキョ」と鳴く、ホトトギスは全長28cm程度のカッコウ科の鳥である。口の中が真っ赤であることなどが「血」や「死」をイメージさせるためか、正岡子規はカリエスを患ってよく吐血したので「子規」と名付けたという。徳富蘆花の小説にも、ヒロイン・浪子の病患を扱った小説「不如帰」がある。

このようにすぐに所在が分からなくなることから、「声も 丸てはきかぬほととぎす 半分ゆめのあかつきのころ」(頭光)、「ほととぎす 自由自在にきく里は 酒屋へ三里 豆腐屋へ二里」(桑楊庵光)の句でも詠われている。

一方、「初鰹銭と辛子で二度涙」と川柳で読まれたほど、江戸時代は鰹の初物は人気があったという。江戸時代、「初物は寿命が延びる縁起物」ということから、相模湾で釣れた初ガツオは買い手が殺到し、1本3両、今の値段なら10万円以上になったと言われている。(編集手帖2021.4.30.より)

そんなわけで、当時は「まな板に 小判一枚 初鰹」(宝井其角)と謳われもしたが、「初鰹は女房子供を質に置いてでも食え」と言われるほど人気があったという。

私は、魚は好んで食べる方ではないが、「鰹のたたき」大好きである。別名「土佐造り」と言うらしいが、かつて息子が「ふるさと納税」を使って取り寄せてくれた「土佐造り」はとても美味しかった。江戸時代からも捕れたという相模湾の「かつお」よりずっとずっと美味しかった。土佐づくりは新鮮なかつおを皮付きのままおろした節を、表面だけ火が通るように炙り、冷水でしめる。そして藁を使って炙ると香りがよくなる。21119269水気を切って1cmほどの厚さに切り、少々塩をふって、又は包丁の背などを使ってたたく。大皿に盛って、上から薬味とタレをたっぷりかけて食べる。薬味としては生姜、ニンニク、大根おろし、ネギ、アサツキがよく合う。タレにはレモンやスダチなどの柑橘系の酸味を利かせたポン酢や醤油ダレがよく合う。(食の歳時記・旬の味より)

伊藤 克之

 

明るく陽気に生きましょう!

新型コロナウイルス感染防止に関しての「非常事態宣言」が終息したと思ったら、新型コロナウイルスの変異種出現、まん延防止の警戒警報が発令され、相変わらず私たちのストレスは解消されることはない。今回は気分一新の意味で、コロナから離れた話題で行きましょう。

清少納言は、枕草子でこう述べている。

『ありがたきもの。舅(しゅうと)にほめらるる婿。また、姑(しゅうとめ)に思はるる嫁の君。毛のよく抜くる銀の毛抜。主そしらぬ従者。つゆのくせなき。かたち心ありさますぐれ、世にふる程、いささかの疵(きず)なき。〔一部省略〕男女をば言はじ、女どちも、契り深くて語らふ人の、末までなかよき人、難し』uta_yomu_woman-1[1]

『めったにないもの。舅に褒められる婿。また、姑に思われるお嫁さん。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人のことを悪く言わない従者。少しも癖のない(人)。容姿や気立て、態度が秀でており、世の中を過ごす間に、少しも欠点のない人。男女(の仲)については言うまでもないが、女同士でも、約束を固くして親しく付き合っている人で、最後まで仲の良い人というのは、めったにない』

この「従者」の例は、昨今であれば会社の上司と部下の関係が当てはまるのではないだろうか。その上司の悪口を言わない部下などいない。上司の悪口ほど面白いことはないから、酒の席などでは格好の肴になる。それを肴にしない部下などいないのではなかろうか。

過去、と言ってもそう遠くない昔である。女子アナの座談会で、あるテレビ局の女性アナウンサーが上司からいじめられた腹いせに、上司の机の引き出しに「ウンチ」を入れたということを聞いた記憶がある。今日的に表現すれば、日頃からよほどの「パワハラ」があったのであろう。しかし、女性の恨みというものは恐ろしいものである。

私にはこの逆バージョン?の経験があった。かつて私にはSという部下がいた。Sは衆人が認める変わり者であった。まず、Sの家庭の出来事から話そう。

ある日、姉さん女房のSの奥さんは運転免許証の更新に警察署に行った。そこで視力の検査を行ったが、両眼で視力検査機を覗いても、どうしても0.7迄の記号を判別することができなかった。当然不合格である。そこでSの奥さんは、「眼鏡を変えてまた来ます」と言って、警察署を飛び出し急いで眼鏡屋に飛び込んだ。chikoku_business_womanしかし、眼鏡店の方でも突然来店され「すぐ眼鏡を作ってくれ」と言われても、おいそれと作れるわけがない。「まずは視力検査から」と検眼を行い、いくつかのレンズを合わせ矯正視力を上げて行った。ある程度視力が回復したところで、そのレンズを入れた鉄製の黒いフレームのまま警察署に再び訪れ、再度警察署で免許更新のための視力検査を行ったのである。Sは、その仮の眼鏡で免許更新の手続きがうまく行ったかどうかは教えてくれなかった。

S夫婦には幼稚園の先生をしている一人娘がいた。その一粒種のお嬢さんが社会人になってからは、S夫婦はよくドライブに出かけた。昼間であろうが夜であろうが、思いつくとすぐに出発をした。時には夜を徹して広島県まで車を飛ばすことさえあった。理由は、テレビに映っていた広島の「カキ」が食べたいからである。奥さんは運転免許証は持っていたが、車の運転は主にSに委ねられていた。したがって、朝帰りの強行軍のドライブの命令もしばしば下命されていたのであろう。Sはよく職場で欠伸をしたり、居眠りをしていた。また、二人は車内でよく喧嘩もした。あるとき、その喧嘩がエスカレートした。するとSは、「次の料金所を過ぎたら車を止める!俺はそこで車を降りて一人で帰るから、あとはお前が一人で運転して帰れ!」 奥さんは「じゃあ勝手にしなさい。私は自分で運転して帰る!」と高速道路の料金所の路肩でSを降ろし、自分で車を運転して帰ってしまった。どこの料金所の近くで車から降ろされたかは知らないが、Sの家からは相当遠い場所であったことは事実である。Sは「しまった。ここからでは家まで相当長い距離がある」と気づいたが、それは後の祭りであった。Sは歩き、バスを乗り継ぎ、電車に乗り、相当の時間とお金を使って帰宅したいという。

これからのことは、笑いで済まされない、パワハラの範疇に入ると思われるので、時効を理由に読者の皆さんは不問に付していただきたい。

東京・銀座8丁目に博品館というお店がある。あるとき我々はここで黄色いウンチがトグロを巻いているおもちゃを購入した。unchi_character早速事務所に持って帰り、私はSが帰宅したのを見定めたのち、Sの椅子の座布団の上にさりげなくおもちゃのウンコを置いて、明日の朝Sが出勤したときに、「Sさん、いくら朝時間がないからと言って、こんなところでウンコをしたら駄目じゃないか」というつもりであった。ところが、そのあとに施設長が手を加えて、このウンコを机の右下に移し、その下にティッシュペーパーを敷き、ご丁寧にそのティッシュペーパーの中心部にコーヒーを染み込ませ、知らんふりをして帰宅してしまった。

ところがである。このおもちゃのウンコをSが気づく前に、夜勤担当の職員が発見してしまい、施設は早朝から大騒ぎになってしまった。「昨夜は大変なことがあったんですヨ!!」

始業時間ギリギリに出勤するSは、「何かあったんですか?」で終わってしまった。我々はこのようなSのことを酒の肴にして酒を飲むと、いつも2~3時間は持つ。このことをSに言うと、Sは「では僕に酒の肴代を下さい!」と宣った。

コロナ禍が落ち着くまでは、ストレスもたまるでしょうが、焦っても仕様がありません。”気楽に陽気に生きましょう!!!”

伊藤克之

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プレゼントされた書籍から

一昨年の2月のことである。私は60年振りに高校時代の2年先輩・野澤宏氏にお会いすることができた。私は高校に入ってすぐにブラスバンド部に入部した。そこで右も左もわからない私にトロンボーンを教えてくださったのが、野澤宏先輩であった。suisougaku現富士ソフト株式会社取締役会長執行役員の野澤先輩は、過日の出会いを期に当時のブラスバンド仲間に対しても、会長の半生を綴った雑誌「財界」を送り続けてくださっている。今回の4月7日号で、すでに22回の連載であるが、この連載は依然として続いている。私はこのプレゼントに喜び、感謝するとともに、この連載がまだまだ続くことを期待している。何故ならば、この連載を読むことによって、野澤会長をもっともっと知ることができ、また会長の考え、経営手腕をさらに勉強することができるからである。

この雑誌「財界」に最近、ミキハウスグループ代表・木村晧一氏に関する連載「ミキハウス物語」が始まった。ミキハウスと言えば赤色と紺色を基調とした高級子供服メーカーの会社であり、柔道を始めとする諸々のスポーツ界のスポンサーぐらいにしか知識がなく、ミキハウスグループ代表の木村晧一さんの名前も存じ上げなかった私であるが、最近は孫が生まれたせいで子供服というか子供用品に興味を持つようになり、「ミキハウス」は非常に身近な存在になっている。このようなバックグランドがあることころでの連載開始であった。

私は、このミキグループ代表の木村氏の生い立ちに深く感銘を受けたので、この欄で取り上げさせていただき、皆さんにも知っていただきたく、ペンを執ることにした。

木村代表は1945年滋賀県の生まれである。私とは誕生日も近く、年齢も一緒であった。この点も興味をそそられた一つである。木村代表は3歳の頃、小児麻痺に罹り、右足が麻痺してしまったそうである。小学校4年生までは歩行困難で、車いす生活が続いたそうである。この窮地から脱出すべく、「自分の足にどうしたら筋肉が付くか、筋肉をつけるには何をするべきか」を熟考し、自分の病気の寛解・完治・自立への糸口を模索したという。「自分の足は自分の力で治す」10歳、小学校4年生の木村少年は決意したのである。そして彼が導き出した結論は、「自分で足を動かして、自ら足に筋肉をつけていくほか、自分の病気は治す方法はない!」という結論であった。

そして木村少年は小学校高学年になると歩行訓練に入るのである。転んでも耐え、捻挫をしても耐え、激しい痛みにも耐えて・・・

やがて木村少年は、中学入学を期に歩く訓練を兼ねて新聞配達のアルバイトを始めるのである。朝3時には起き、雨の日も風の日も新聞配達は続けられた。悪い右足を庇ってケンケンしながらの新聞配達である。そして新聞配達が終わると家に帰って、制服に着替えて学校に向かうのである。中学に入ってからは車いすを使わず、生活のすべてを自分の足で歩いて頑張ったという。家から学校までの約1kmを1時間かけて・・・。中学校はいつも遅刻の連続であったという。

ハンデキャップのある木村少年の介助をしてくれた小学校時代の友達の行為は、友情ではなく同情だと気づいた木村少年の見識、筋肉増強のために行った新聞配達時代に会得したマーケティングの発想、リハビリに打ち込んだ高校時代、大学時代に心を惹かれた心理学の礎があって木村青年は昭和46年、26歳で三起商行の前身三起産業を創業したのである。EchzlzCU4AEI3AOそして1989年からオリンピックを目指す選手たちを本格的に支援している。その根底には「オリンピックへの出場を果たし、世界のトップを目指す選手は日々、激しい努力を積み重ねている。一生懸命やっている姿に感動するんですよ」という木村会長の「心」があるからだと思っている。

私も「一生懸命」「一所懸命」という言葉が大好きである。一生懸命努力している人、見えないところで頑張っている人、耐えている人達を見ると涙嚢から涙があふれ出てしまう性質なので、木村会長とは相通ずるところがあると感じている。

しかし、木村会長や野澤会長に比べて浅学菲才の私は、「財界」を読んで、先輩の野澤富士ソフト会長、木村ミキハウスグループ代表のご努力、見識、実行力に感銘し、尊敬ばかりである。しかし、自分一人で感激しているばかりでは申し訳ないので、これらのことを我々の法人職員にPRしたいと思い、活字にすることにした。「ういすたりあ」の職員も、この拙い文章、さらには「財界」の雑誌を読むことで何かを会得し、もっとお二人の会長に近づけるよう発奮してもらえれば幸いである。(参考文献「財界」・株式会社財界研究刊)

伊藤 克之

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新型コロナウイルスと戦う

3月5日は二十四節気の「啓蟄」である。七十二候では「蟄虫啓戸」(すもごりむしとをひらく)。地中で冬ごもりをしていた虫たちが、土の扉を開け広げて出てくる季節である。スミレやれんげ草が咲き始め、春らしさが増してくる時期である。しかし、神奈川県を含む1都3県では緊急事態宣言解除が延期され、私たちの「啓蟄」は先延ばしになってしまった。

私たちは、今週とその翌々週にPCR検査を受けることになった。その結果が、気になるところではあるが、換気に心掛け、三密を回避し、検温、手指消毒やうがい、そしてマスク着用を心掛けているスタッフであっても、全員が対象である。

世間には、新型コロナウイルスに感染しやすく、そして死亡する人もいれば、ウイルスに強い抵抗力を持っている人もいる。また、感染しても自然治癒力が強い人もいれば、そうでない人もいる。

この違いはどこにあるのであろうか?今回は対コロナ、対疾病に関して、私がインターネットや書籍から得た知識をまとめると同時に、昔からの持論(偏見)を述べさせていただく。

第1に言えることは、コロナウイルスに罹患しないことである。360_F_361471504_NOrN1M3Y9neDMHv2RDuRABCvMUInQkdeこれは当然で、誰もが導き出せる持論であるが、平均湿度が40%より低い地域ではコロナ発生が多いと言われている。ウイルスと言う生き物は、湿度が高いと容易に不活性化されるのだそうである。したがって、自分の置かれた環境を不快指数が上がらない範囲で、湿度の高い環境にすることである。

第2は、自らの体を免疫力の強い体にすることである。免疫細胞は、悪いウイルスを退治する強い味方である。この免疫細胞の60~70%は「腸」に存在し、その数は100~1000兆個と言われている。そして、免疫細胞は、腸に存在する「腸内細菌」の環境が良くなると元気に活躍してくれるのである。したがって、この「腸内細菌」を増やすことが「病気に強い身体」を作るミソであろう。

では、腸内細菌の環境を良くし、活躍しやすい状態にするにはどのような手段をとれば良いのであろうか? それには発酵食品を多く摂ることである。日本固有の食品としてある味噌や漬物、納豆などの発酵食品は「乳酸菌」を多く含む食品として知られている。しかし、乳酸飲料やヨーグルトなどに含まれる一般的な「乳酸菌」や「ビフィズス菌」は「通過菌」と呼ばれ、腸内に定着して増殖することはない。たとえ生きていたとしても、数日で排出されてしまう。そのため、自分の体にもともと住んでいる「腸内細菌」を守り育てることが大切であると考えている。

 

そこで、高齢であり高血圧症・糖尿病の有病者でありながら、できれば新型コロナウイルスワクチンを接種したくない私は考えた。冒頭に記したウガイ、マスク、手洗い等の注意事項の遵守は励行しても、予防注射はしたくない。それには換気、加湿を行い、食生活を改善してみようと・・・。

私はまず、糖尿病の対策としてご飯(炭水化物)の摂取を控えめにし、まずは副食の野菜から食べ始めること、そして可能な限り納豆と味噌汁はほとんど毎日摂り、毎朝食時には可能な限りヨーグルトを摂る食事をすることにした。monosiri_Illust_02_pngこの食事形態を続けることで、1年で10kg弱痩せる事ができた。毎晩、晩酌を続けての結果である。しかしビールはカロリーゼロのものを愛飲し、おつまみにはナッツや漬物、チーズやキムチ、塩辛などを好んで食べるようにしている。

しかし、心配事がないわけでもない。主治医の先生からは「休肝日を作ってください」と言われるし、毎日醤油をかけて漬物(発酵食品)を酒の肴にしているためか、塩分の摂り過ぎ?で血圧が少し上がってきたように思える。(このことは主治医にはまだ内緒にしているが・・・)

何はともあれ、現在は初回の検査後1週間間隔を空けて2回目の検査を行うPCR検査は進行中。この結果は陰性と信じているが、ワクチンは接種しようかどうか思案中の毎日である。若し私が新型コロナウイルスに感染する、又はしているようなことがあったなら、読者の皆さんは大笑いして発酵食品を肴にして祝杯を挙げてください。

伊藤 克之

「今は昔の夫婦愛」

2月3日で、新型コロナウイルスの集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンス」の横浜帰港から1年が経過した。この間、新型コロナウイルスの感染者は40万人寸前という数に上り、死者は6千人を超えた。

1年を超えるコロナ禍に、社会・経済は一変しコロナウイルスに立ち向かう我々のストレスは噴火が近い活火山のマグマのように溜まりに溜まっている。

そんな中、一服の清涼剤となる「サラリーマン川柳」(第一生命保険)が新聞紙上を飾った。

「会社へは 来るなと上司 行けと妻」

新型コロナウイルス感染者の蔓延で外出を抑制され、さらにリモートワークで在宅の時間が増えたサラリーマン家庭の様子が手に取るようにわかる句である。

このように、GO TO・・・ キャンペーンが鳴りを潜め、在宅での時間が長くなっている家庭において大切なのは、いつも変わらぬ「夫婦愛」「夫婦の絆」なのかもしれない。

夫婦の在り方を考えさせられる川柳を詠んで、私は何故かテレビのない時代でラジオが唯一の楽しみであった小学生時代に聞いた、こんな浪曲の一節を思い出した。

「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ、頃は六月中の頃、夏とは言えど肌寒し・・・」

多少歌詞は違っているかもしれないが、浪曲好きのお父さんを持つ同級生がよくうなっていた。私は今日まで広沢虎造の浪曲とばかり思っていたが、ウィキペディアによると、1875年ごろ書かれた原作者不詳の浄瑠璃であり、浪花亭綾太郎が謡う名調子で一躍有名になった「壷坂霊験記」の一節であった。 あらすじは以下のようである。

盲目の沢市は、妻のお里が明け方になると出かけていくのに気づき、「男ができたのでは」と疑い、妻を問い詰める。お里はこの三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けに行っていたと打ち明ける。邪推を恥じた沢市は、お里と共に観音参りを始めるが、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、二人は助かり、沢市の目も見えるようになる。B1101F2AED0346EDA08BBCFFEEFC90D0_L

今にあっては、稀にみる夫婦愛であり、家庭円満の秘訣はここにあると思っている。

「いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦」

「この頃は 話しも入れ歯も かみ合わず」

「妖精と 呼ばれた妻が 妖怪に」

「恋かなと 思っていたら 不整脈」 (いずれもSNSシルバー川柳)

話はがらりと変わるが、コロナ禍の影響もあって帝国ホテルが客室の一部(99室)を「帝国ホテル サービスアパートメント」として長期滞在者向けに貸し出すそうである。因みに料金は30泊で36万円程。かつては「吾等のテナー」と呼ばれたオペラ歌手の藤原善江さんや山田五十鈴さん等が長期滞在していらしたことは有名であるが、私のような凡人は「果たして如何ほど支払っていらしたのか?」と、すぐそちらの方に気が行ってしまう。

今は昔。昭和45年、私は東北の県庁所在地にある医科大学に助手として奉職したが、その時の教授がやはりホテル住まいであった。当時聞いたとこでは、教授の1カ月の支払いは約100万円ほどであったとか。因みに、当時は日産自動車の「サニー」が約100万円程度で購入できたと記憶している。

夫婦愛から話題が大分逸れてしまったが、話しを今に戻そう。私たちの青春時代に憧れたスターに「若大将」と呼ばれ、一世を風靡した加山雄三さんがいる。2020年8月末、加山さんは「誤嚥」で救急搬送された。119番通報を受け、救急車が搬送に向かった先は東京・中央区のマンションと言われているが、そこは「ケアハウス」であったという。なぜならば、2019年11月、脳梗塞を発症した加山さんは、世田谷の豪邸からケアハウスに転居していたのである。

ケアハウスがどのような施設かを学び、奥様とお二人の老後を考え、愛する奥様への負担を少しでも軽減しようと考えた加山さんの決断は、立派な夫婦愛と言えるのではなかろうか。週刊誌・女性セブンよりこの情報を得て、あえて「ケアハウス」というものに興味をもっていただきたく、また「ケアハウスういすたりあ」のPRを兼ねて、ホームページに投稿させていただいた。

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伊藤 克之

年 頭 雑 感

2020年がようやく終わり、丑年の新年がスタートをした。振り返ってみれば、2020年は中国の武漢が発生源ではないかといわれている新型コロナウイルスの伝播でスタートしたように思える。そして、このウイルスが世界中に伝染したことによって人々を震撼させ、多数の死者を出したために、人々を恐怖の底に陥れたことによる、新型コロナウイルスとの戦いの一年であったように思える。そして現在、ワクチンという人類の防御策に抵抗して、敵もさる者、変異種コロナウイルスで抵抗し、このコロナ禍は今でも増大し、世界情勢に大きな暗雲を漂わせている。

学校は休校となり、サラリーマンはテレワークとなり、休業、倒産に追いやられる店舗は増大し、リストラの憂き目にあった人々も決して少なくない。新型コロナウイルスに感染した重篤の患者を扱う医療関係者は疲弊し、医療機関は崩壊寸前の憂き目にあっている。

また、新型コロナ対策に費やされた経済出動のつけがいつ回ってくるのかも心配である。

さて、新年の明るい、夢のある話に話題を戻そう。「ういすたりあ」では、昨年のトゥオンさんに続いて二人目のベトナムからの技能実習生、ニーさんという女性が1月に入職する。すでに彼女は日本に来ているが、現在入国後の2週間の隔離期間を終えて、日本語や日本の法規、習慣、慣例さらには就業規則等の勉強を研修所で学んでいる。「デイサービスセンター・ういすたりあ」の利用者の数が増加している折、一日も早く戦力になってほしいと首を長くして待っているところである。介護技能実習生制度とは?おすすめの組合・送り出し機関を徹底調査 ...

また、新型コロナウイルスの蔓延でいくつか中止にせざるを得なかった「ういすたりあ」の行事も、今年は是非盛大に実行したいと思っている。若干縮小されたとはいえ、東京オリンピック・パラリンピックも開催されることでもあり、規模こそ違えこれに負けずとも劣らずの意気込みで取り組みたいと思っている。

また、我田に水を引くような話題になってしまうが、今年2歳の誕生日を迎える孫の健やかな成長にも夢と期待をかけている。「這えば立て立てば歩めの親心」ならぬ「祖父母心」になってしまうが、職員からは「今日も孫の入浴介助ですか?」と冷やかしにも顔をニヤつかせ、一日の疲れを癒してくれる「孫とジィジ」との入浴を続けようと思っている。

安全かつ有効なコロナワクチンや治療薬の出現を期待しつつ、今年も初笑いで、明るくゆきたいものです。

 

偏屈者の八五郎が新年の賀詞を述べにやって来た。減らず口をたたけば鬼も黙るという口達者に、家の主人が吹っ掛ける。

「よく来たハチ公。フグでも食おう!」

「俺は食わぬ!」実は八五郎、フグの毒にあたらないかと怯えているのである。

「怖いか?」フグ イラスト素材 - iStock

「怖くない!。食べ慣れていないものだから!。その代わり、足が4本のものなら、なんでも食べる」と言う。「牛でも馬でも、なんでも!」

にやりとした主人は、ここぞとたたみかける。

「それなら、炬燵にも足が4本ある。これを食ってみろ!」

八五郎も簡単には引き下がらない。

「食わないこともないが・・・」と得意の減らず口で切り返している。

「食わないこともないが、炬燵だけに『あたる』といけねぇ。  解かったかなァー・・・。

(1月3日、産経抄より)

 

家族皆で卓を囲み、おせちをつつく。「三密」を気にせず、ニューイヤー駅伝、箱根駅伝をテレビで見ながら家に来た年賀状を改め、ミカンの皮をむき、集まった親類縁者と談笑のうちに三が日を過ごす。新年は炬燵からという時代が懐かしい。403

「つくづくと ものの始まる 炬燵かな」(東の芭蕉、西の鬼貫と呼ばれた江戸中期の俳人・上島鬼貫の作品より)

伊藤 克之

 

お知らせ

この度、社会福祉法人則信会の法人情報及び経営状況を「全国経営者協議会」のホームページに掲載致しました。下記URLよりご覧ください。

https://www.keieikyo.gr.jp/member/member?id=3254

上記URLで閲覧出来ない場合は大変お手数ですが、下記URLより則信会を検索して下さい。

http://www.keieikyo.gr.jp/

『藤の花学校と萩本欣一』

ういすたりあでは週3回のペースで「藤の花学校」を開催しており、毎回20名前後の方が利用されている。毎週土曜日の開校日は固定しているが、残る2回の開校日は、施設の行事や教師役の職員の都合等で固定されてはいない。

この開校回数、開校曜日に関して、参加している方々にアンケートを依頼したところ、興味ある回答を頂戴したのでここに掲載させていただく。

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「私は週2回しか行くことができませんが、週に3回有っても良いと思います。小学校、中学校と戦争で勉強ができない時代でしたが、今では少しでも勉強が出来る楽しみや思い出が頭に浮かんできます。楽しみにしています。これからもよろしくお願い致します。」

このアンケートを読ませていただいた時、私はコメディアンの萩本欣一(77歳)さんのことが記されている記事が頭に浮かんだ。萩本さんは2015年から駒澤大学仏教学部で学んでおられる。この年齢で、またお忙しいのにもかかわらず、授業は欠席したことがないそうである。同級生の多くはお坊さん志望の若者たちであるとか。

いつでも、どこでも、自らの心掛けひとつで「学ぶ」ことは可能であり、鍛えることも可能である。「為せば成る、為さねばならぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)の教えに繋がるところがある。

また萩本さんは、「自分が年を取っていることに気づいたのは70歳の頃だとも話しておられる。確かに一生懸命仕事に没頭していると、つい自らの年齢のことを忘れることがよくある。ミスが重なってふと自分を見つめ直すと「そうか、自分もこんな年になったのだもの、こんな失敗をしでかしても仕方がないか・・・」と思い、しみじみと自分の年齢を納得することがよくある。yjimageCQ8LW34M

しかし、萩本さんはこうもアドバイスを下さっている。「階段に躓いたとき、『躓いちゃった。私も年だな』と思わないで、『この階段造りが悪いな!』と考える」のだと。

私たちの身体は、使わなければどんどん退化してゆく。筋力は基より、筋量も減少してゆく。また、運動をしないと心肺機能も衰えるため容易に肺炎を起こしやすくなり、やがては死に至るケースがよくある。さらには転倒し易くなり、骨折・入院治療の結果が車椅子対応、認知症併発と言った悪循環のケースをたどる結果にもなる。

日頃から適度な刺激、適度な運動を心掛け、yjimageVVNM7NYV健康寿命を長く保ち、一生涯現役を目指そうではありませんか!

伊藤 克之