お休み処「わびすけ」

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後期高齢者の厄年

コロナ禍が続く令和3年の正月、初詣は東京都府中市にある大國魂神社に行った。大國魂神社は、大国魂大神(おおくにたまのおおみかみ)を武蔵国の守り神としてお祀りした神社である。この大神は、出雲の大国主神御同神で、福神又は縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様とされている。hatsumoude_couple

私はコロナ対策として、密閉、密集、密接の三密を避ける意味からこの神社を選んだのであるが、もう一つの理由もあった。それは昨年末にベトナムから技能実習生として来日し、2週間の隔離期間を終えたばかりの4名のお嬢さん方に日本の正月の一部でも味わってもらおうとの考えもあっての初詣であった。

例年に比べると、比較的すいていた神社でお参りを済ませ、彼女たちと昼食を食べているときのことである。なぜか私の右下腹部にシクシク痛む感覚を覚えた。寒さ対策は十二分にしてきたつもりであるので、60年前に手術した虫垂炎の古傷が癒着でもしたのかな?くらいに思っていた。でも何かすっきりしない予感が脳裏をよぎっていた。

ベトナムからの技能実習生を宿舎に送り届け、我が家に帰ってゆっくり湯船に浸かりながら右下鼠径部に手を当てると、そこには大きな膨隆ができていた。しかし、その膨隆部を優しく押すと、その膨らみは消失するのである。とっさに私は直感した。出たな!まさかこの年になって、思いもよらなかった鼠径ヘルニアが出るなんて・・・。

鼠径ヘルニアは、自然治癒はなく、手術によって筋膜を補強するメッシュを入れ、鼠径管に腸が入り込まないようにしなければならない。インターネットを駆使して、早速医療機関探しに取り掛かったが、コロナに関する緊急事態宣言は発令されているし、混み合っている電車やバスは乗りたくないし・・・。しかし長く放置をしすぎて腸が周囲の筋肉で締め付けられて押しても戻らない「嵌頓状態」になってしまい、緊急手術になるのも怖いし・・・。

いろいろ迷っているうちに、今度は帯状疱疹を発病してしまった。時期は4月上旬のことである。発症部位はほとんど右腕に限局されていたが、痛みと赤い斑点、そして水膨れには閉口した。特に疼痛にはひどく悩まされた。飲み薬を塗り薬を皮膚科の先生に処方してもらい約2週間で峠は越えたが、帯状疱疹特有の症状がダラダラと続き、寛解するまでは難儀をさせられた。

帯状疱疹は、加齢などによる免疫力の低下が発症の原因であり、80歳までに約3人に1人が発症すると言われている。疲労やストレスなども発症のきっかけになると言われているので、職場では「疲労が原因で帯状疱疹に罹った」「ストレスが多くてヘルペスが発症した」等々、声を大にして吹聴したが、同調し、労い、憐れんでくれる職員はいなかった。寂しい限りである。老兵は消え去るのみなのであろうか・・・。

話を本題に戻そう。新型コロナウイルスにおける「緊急事態宣言」が発令されている中、意を決して「鼠径ヘルニア手術」を敢行した。敢行と言っても手術を行うのは医師であり、私はただひたすら寝ていればいいのである。あえて言えば「俎上の鯉」である。

術式は全身麻酔下における「腹腔鏡手術」。5月17日の朝、8時30分前にクリニックに着いてしまった私は、建物の周囲を探索していると、出勤してきた病院スタッフに出くわした。私が何か迷って、探し物をしているかのように見えたのであろうか、病院スタッフは、

「どうされましたか?」と声をかけてきてくれた。

「今日はOpe.なんです。ちょっと早く着きすぎてしまったので・・・」

「そうですか、では一緒に行きましょう。手術の時間はそれほどかかりませんし、ちょっと休んで、午後にはお帰りになることができますからネ。心配はいりませんヨ!」と手術室のある階まで私を案内してくれた。iryou_doctor_nurse

3階に上がり、受付をすますと麻酔医の先生が挨拶に見えた。

「本日、担当をさせていただきます麻酔医の〇〇です」と、椅子に座っていた私に目線を合わせるように、片膝をついて挨拶をされた。

「今日はお世話になります。よろしくお願いします」と、挨拶を交わしたのち、更衣室に案内された。ここで手術衣に着替えて手術前の処置室に通された。ベッドに横たわり、右指にパルスオキシメーターを付けられ、左腕の静脈に小さな注射針を挿入されたところまでは覚えているのではあるが、私の記憶はここで途絶えてしまった。時間的には9時頃であったと思われる。

どれくらい時間が経過したのであろうか?私の腹時計からすると正午ごろだったと思われる。覚醒すると同時に私の思考回路は手術前と全く同じように駆動していた。それから1時間?くらいは唯々仰臥しているだけのリカバリータイムであった。私にとってこの時間は、ただひたすらに考えることに没頭できる貴重な時間であった。bed_boy_sleep家庭のこと、仕事のこと、執刀してくださった先生の人柄の良さ、朝挨拶に来てくれた麻酔担当の先生の礼儀正しさ、朝声をかけてくれて私の不安を和らげてくれた病院スタッフの女性のこと、お世話になっているクリニックのスタッフの皆さんの親切で優しい人柄、さらには38歳で手術中に逝ってしまった私の弟のこと等々。

やがて看護師さんから声がかかり、覚醒の状態を確認された後、私は私服に着替えて担当医の術後診察を受けて帰宅の途に就いた。時刻は午後の1時半頃と記憶している。

主治医の先生からは、「様態は如何ですか?」と尋ねられたが、術後の痛みはほとんど感じられず、ただ「目の中にゴミが入っているように痛いです」と訴えて、術後の服薬剤に加えて、目薬も処方してもらった。目の痛みは麻酔の影響で交感神経が働き、アドレナリン分泌が促され、一時的に涙腺の涙を作る運動が鈍くなったために起こった現象ではないかと思っている。

一人で電車、バスを乗り継いで帰宅した後も術後の痛みは感じられず、家に帰りまたひと眠りしたことによって、目の渇きによる痛みも消失していた。

まだ、自転車に乗ったり、重い荷物を持ったりすることは禁止されているが、これも術後1カ月の検診で解除されることであろう。

しかし、今まで健康には自信があった私が半年間に二つも疾病を抱え難儀するとは思ってもみなかった。これが加齢のなせる因果なのであろうか?この二つの闘病が私の災難仕舞いになるのか、「二度あることは三度ある」に繋がるのか・・・。いづれにしても私は「ピンピンころり」で人生を全うしたいと考えている。

伊藤 克之