お休み処「わびすけ」

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新 春 雑 感

2016年という新しい年がスタートした。今年は4日が月曜日ということもあって、仕事始め早々からスロットル全開を余儀なくされた人も多かったことであろう。

松過ぎの 又も光陰 矢の如し (虚子)

正月と言えば昔は、凧揚げ、羽根つき、独楽廻しyjimage[1]と言った風情を感じられる遊びが多くあったが、昨今は福袋の買い出し、スマホでのゲーム、暇を持て余す人はパチンコに精を出すことが多くなり、お正月に味わう「おせち料理」も宅配便で取り寄せる家庭が増加したと、運送業の人は語る。

冬と言えば「炬燵」こたつと言えばみかんが連想される。こたつに入って家族みんなで会話を楽しみ、年長者から昔のしきたりや地域の風習、行事のいわれを聞く機会は、当の昔に消滅してしまった。近所の子供たちが集まって、「かるた」で遊んだことも懐かしい思い出となってしまった。斯く言う私も、お煎餅をかじりながら本文を書いているのである。

かるたで印象が深いのが、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての約600年間の秀歌を集めた「小倉百人一首」である。この100選歌の43%は「恋の歌」だそうである。小学生になるかならないかの時期に、意味も解らず競って百人一首を覚えようと努力した自分をいま振り返ると、どこか違和感を覚える。yjimage[3]

恋い焦がれる女性に、己の心情を歌に詠んで訴える。それも何度も何度も・・・。私の青春時代であれば「逢いたい気持ちがままならぬ・・・」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ・小樽のひとよ)であり、現代の若者ならばメール一本で完了であろう。「わたし貴方がすき家、だから松屋、でもやっぱり吉野家」で終わりである。当時はまさにのんびりとした、風情のある女性上位の時代であった。

和歌も詠めず、パソコンのメールでしか人間関係が構築できない今の若者が、付け文・恋文とまでは言わなくても、ラブレターを書いたらどんなことになるのであろう。

『こなだこなだ』(こないだはこないだはね)

『へそかゆくて』(忙しくて)

『ろくまくおかし、八銭ですみました』(ろくろくお構いしなくてスイマセンでした)

『そのときはながたけさんくだりて』(その時バナナ沢山くださりて)

『苦しかったわよ』(嬉しかったわよ)

『すぐにわかやまにもちかえり』(直ぐに我が家に持ち帰り)

『仏壇へそなめた』(仏壇に供えたわ)

『こんどきたとき、ミシンがないが、したてるわ』(今度来た時、シミジミ話がしたいわ)

『こんどのひよびに、てにてをつないであべこべいくよ』(今度の日曜日、手に手を取って、アベックで行こうよ)

『あなたははたけのたにしだわ』(あなたは私の彼氏だわ) 【痴楽綴り方教室より】

わたしもまた一つ齢(よわい)を重ねてしまった。  たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松もむかしの 友ならなくに (藤原興風)

伊藤 克之