お休み処「わびすけ」

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桜・サクラとお釈迦様

春と言えば、日本人の誰しもがまず思い浮かべるのはサクラであろう。サクラは日本人が古来からもっとも愛した花である。

一方、ヨーロッパ人はバラを愛でる傾向にあるようである。しかし、バラは桜花のもつ純真さに欠けている。それのみならず、バラはその甘美さの陰にトゲを隠している。また、バラはサクラを違っていつとはなく散り果てるよりも、枝についたまま朽ち果てることを好むかのようである。その生への執着は、死を厭い、恐れているようでもある。DSC_0509

私たちの日本の花、すなわちサクラは、その美しい粧いの下にとげや毒を隠し持っていない。自然のおもむくままにいつでもその生命を棄てる用意がある。

敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)と詠まれているように、私はここに日本の武士道と西洋の騎士道の違いがあると思っている。

どう言う訳か、私は4月になると釈迦の降誕を祝う灌仏会(花祭り、仏生会、浴仏会とも言われている)の甘茶と稚児行列を思い出す。60年以上前にたった一度経験しただけなのに、何故かその印象は私の記憶に鮮明に残っている。そこで、お釈迦様のことを調べているうちに、心を打たれる文章に出会ったのでここに紹介をさせていただく。出典は「変わりたいあなたへの33の物語」と思われる。

 

お釈迦様と悪口男のお話

あるところに、お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。

「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めているのだ。いまいましい」

男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。

ある日、その男は、お釈迦様が毎日、同じ道のりを散歩に出かけていることを知りました。

そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、群集の中で口汚くお釈迦様を罵ってやることにしました。

「お釈迦の野郎、きっとおれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、あいつの人気なんてアッという間に崩れるに違いない」

そして、その日が来ました。

男は、お釈迦様の前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。

お釈迦様は、ただ黙ってその男の言葉を聞いておられました。

弟子たちはくやしい気持ちで、「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」とお釈迦様にたずねました。

それでもお釈迦様は、一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていました。

男は、一方的にお釈迦様の悪口を言い続けて疲れたのか、しばらく後、その場にへたり込んでしまいました。

どんな悪口を言っても、お釈迦様は一言も言い返さないでので、なんだか虚しくなってしまったのです。

その様子を見て、お釈迦様は、静かにその男にたずねました。

「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか?」

こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。

「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。わかりきったことを聞くな!」

男はそう答えてからすぐに、「あっ」と気づきました。

「そうだよ。今、あなたは私のことをひどく罵った。でも、私はその罵りを少しも受け取らなかった。だから、あなたの言ったことは、すべてあなたが受け取ることになるんだよ」

 

人の口は、恐ろしく無責任なものです。

ウワサとか陰口というものは、事実と違ってずいぶんと出鱈目なことがよくあります。ウワサや陰口だけではありません。図太い神経の持ち主で、目の前にいる相手に向かって、直接ひどいことを言う人もいます。自分を非難されるようなことを言われたら、たいていの人がダメージを受けます。傷ついて落ち込んでしまったり、腹が立ってイライラしたりすることもあるでしょう。

 

でも、お釈迦様は違いました。人前で恥をかかされることを言われても、ちっとも動じません。その場を立ち去ることもせず、じっと相手の話を聞いているのに、口応えもしません。それでいて、まったく傷ついたり怒ったりしないのです。

お釈迦様は、相手の言葉を耳に入れても、心までは入れず、鏡のように跳ね返しました。ですからまったくダメージを受けていないのです。

言葉は時として、人の心を傷つけることのできるナイフになります。しかし、心がナイフよりも固くて強ければ、痛くも痒くもないのです。DSC_0522

ひどいことを言う相手を責めても仕方ありません。それより、自分の心を強くする方が簡単で効果的です。   伊藤 克之