お休み処「わびすけ」

ブログアーカイブへ≫

湘南の地平塚・真土そして今里

3日間で165万人の観光客が訪れた「第64回湘南ひらつか七夕まつり」2imageを終えた平塚の7月8日は、真夏日のように暑く、日差しも強く、痛く感ずるほどである。一方、沖縄地方には大型の台風8号が接近し、島民は大変な思いを強いられている。よく災害に見舞われる九州、沖縄、そして紀伊半島等々の人々には申し訳ないが、「ういすたりあ」がある湘南地方は、温暖で風水害の被害もほとんど発生しない土地柄である。もっとも今年の2月には珍しく大雪に見舞われた。しかも2度に亘って難儀を強いられた。しかし、この雪も北国の人に言わせれば雪が積もった範囲に入らないのかも知れない。

このような自然と気候に恵まれた湘南の地、平塚市真土(しんど)今里(いまざと)に「ういすたりあ」は存在する。近世の歴史書を紐解くと、yjimageUZ787A2N新土村(明治初年に真土と表記を改める)の南方には東西に中原道が走り、中央を南北に糟屋道が通る、家数107戸、馬7頭、荷車3台、人力車1台の農業9割、工業1割(明治9年)の薩摩芋作りが盛んな地であったといわれている。その中にあって、今里は鎌倉浄光明寺華蔵院領として寄進され、諸公事等が免除されていた土地であったそうである。

さらに歴史を遡ると、旗本・若林、旗本・本多、幕府直轄の三給の地から宝暦10年(1760年)旗本・若林領と下総佐倉藩領になっている。我家が参加している「稲荷講」のお稲荷さんの名称が「佐倉稲荷」となっているのも、このあたりに由来しているものと思われる。そして嘉永3年(1850年)10月17日から19日に佐倉藩領内で「種痘」が実施され、村民32名がこれを受けている記録が近所の家に保管されて残っている。安政3年(1856年)8月25日夜、大風雨により屋敷、雪隠、物置などの全半壊27棟、新土村等佐倉藩12ヶ村に助成金25両余、挽割麦5斗余が下されるとの記録がある。これ以外、この地は大きな災害にあっていないようである。

書物を紐解くまでもなく、富士山の宝永大噴火(1707年)、大正の関東大震災(1928年)はマスコミ等でよく取り上げられており、私たちの記憶に新しいものの、避難生活を余儀なくされるような災害の経験はない。もっとも太平洋戦争では、平塚に海火薬廠が存在していたため連合軍の空爆の標的となり、旧平塚の中心部は焦土と化したが、このB29による空爆さえ真土は免れている。本当に穏やかな、やさしい地域柄であり、ちょっと足を延ばせば鎌倉や横浜、箱根・富士山といった観光地を訪れることができる、皆様に誇れる風光明媚、温暖な風土であると思っている。

一方暗い出来事としては、私が幼いとき祖父によく聞かされた事件があったのも確かである。明治11年10月26日夜、地租改正に伴う地券発行をめぐる質地取戻しの争いに端を発し、村民20数名によって質取主・松木長右衛門一家7名が殺害される「真土事件」が起きている。

しかし、私たちは地球温暖化による異常気象が原因と思われるゲリラ豪雨、風水害、土砂崩れ、地震、竜巻等の天災にいつかは見舞われることを想定し、備えと心の準備は怠らないようにしておかなければならない。

日本歴史地名大系(平凡社)を参考に原稿を作成致しました。    伊藤 克之