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今はもう秋 誰もいない海♪♪♪ トワ・エ・モアの唄う名曲は、中年以上の高齢者にとっては深い哀愁を掻き立てられる歌であろう。あの暑かった夏が終わり、凌ぎ易い季節がやってきた。秋は実りの秋、食欲の秋、読書の秋でもある。食べ物が美味しく、「天高く馬肥ゆる秋」でもあり、「人も肥ゆる秋」でもある。旬の美味しい物を食べると健康になるという意味から「柿が赤らむと医者が青くなる」「サンマが出るとあんまが引っ込む」とも言われている。

「秋茄子は嫁に食わすな」「秋サバは嫁に食わすな」と言った諺もあり、美味しい茄子や旬のサバを嫁に賞味させるのはもったいないと言った嫁いびり説や茄子は体を冷やすから、またサバは食あたりしやすいので大事な嫁の食膳に出さないようにと言った嫁擁護説が言い伝えられている。

読書の秋にちなんで古書を紐解いてみると、山夕(さんせき、下の句が「秋の夕暮れ」で終わる有名な三つの句のこと)という文字が目に入ったので紹介させていただく。夕暮

寂しさは その色としもなかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮 (寂蓮法師)

見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮 (藤原定家)

心なき 身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮 (西行法師)                (大磯町にある鴫立庵が、西行法師が吟遊中にこの句を歌った場所である、ここで売られている西行饅頭は得意な格好をしており、一度食してみる価値がある)

また、秋には「秋の七草」なるものがある。「春の七草」は「七草粥」にして食べるなど“食”を楽しむものであるが、「秋の七草」は花を“見る”ことを楽しむものとされている。この「秋の七草」は山上憶良が万葉集の歌で選定し、今に至っている。

秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花    萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌(あさがお)の花 (朝貌は朝顔ではなく「桔梗」であるとの説が定説)

「秋」をひとつ紐解くだけで、歴史をたどり、古きを尋ねる旅に出ることができるのである。これが現代になると、「一日千秋」「物言えば唇寒し秋の風」「女心と秋の空」「秋の夜と男の心は七度変わる」等々変わってくるものである。しかし、そうは言っても「和」をもってホスピタリティーを実践する介護の世界には、「秋風が吹く」と言った諺は近寄ってもらいたくないものである。

そして、秋といえば日本の大衆魚「秋刀魚」が真っ先に頭をよぎる。秋刀魚落語に出てくる「目黒の秋刀魚」のように、炭火で焼かれた「尾頭付き」の秋刀魚は、血行を良くし、脳梗塞や心筋梗塞を予防し、悪玉コレステロールを減らす効果のある成分を多く含む。秋刀魚の頭と尾を切り落とし、フライパンの大きさに合わせて焼かれた現代風の秋刀魚は、お江戸の殿様でなくとも敬遠したいものである。

伊藤 克之

「浅草サンバカーニバル」

今回は、8月23日(土)に東京の下町浅草で開催された「サンバカーニバル」を観て来たお話をしたいと思います。何故かと申しますと、いつもお世話になっている先生が出場していたことと、一度自分の目で本場のサンバを観てみたかったためです。DSC_0113DSC_0118

台東区浅草寺周辺で開かれたカーニバルには、1チーム平均300人(年輩者~児童まで)のダンサーがラッパや太鼓のリズムに合わせて情熱的な踊りを披露し、たくさんの沿道の観衆を魅了していました。DSC_0072

参加されているチームの話では、大使館勤務の方や医師に看護師、サンバの本場である外国人ダンサーもこの日のために来日しているとか…。また、各チームはボランティア活動として福祉施設等への訪問もされているそうです。DSC_0099

「浅草でサンバ」という話しを最初に聞いたときは、聞き間違えたのか?と思いましたが、今年で33回を迎えるのだそうです。どうして浅草でサンバ?…と、知りたくなって調べてみました。DSC_0130

浅草でサンバをするきっかけは、浅草といえば「江戸下町情緒」「粋」というイメージがありますが、実は大の「新しもの好き」なのが浅草ッ子なのだそうです。明治時代には日本最初の映画館や、日本で初めてエレベーターを取り付けた12階建ての赤レンガビル「凌雲閣」、水族館、サーカスなど、浅草には他の町にはない新しい文化がどんどん取り入れられてきました。 また、大正時代になると「大正オペラ」や「安来節」で賑わい、幅広いジャンルの音楽劇を生み出してきました。 歌って、踊って、楽しむサンバカーニバルと浅草の結びつきはすでにこの頃からあったようです。 そうした背景のなか、昭和30年代後半から40年にかけて、盛り場の中心は、他の地区に移っていきました。 このような状況の中で当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、浅草の新しいイメージをつくるお祭りとして、ブラジルのサンバカーニバルを浅草で開催することを提案し、これをきっかけに浅草の商店連合会が主体となって浅草観光連盟にも呼び掛け、浅草サンバカーニバルは誕生しました。こうして浅草サンバカーニバルは産声を上げ、東京下町の夏を代表するお祭りのひとつにまで成長したという訳です。 現在では、出場するチームも全国区のものとなり、またサンバの本場、ブラジルの人たちからも非常に高い評価をいただいているそうです。DSC_0145

薀蓄はこの位にして、皆様も是非一度「浅草サンバカーニバル」ご覧になってみては如何でしょうか?色とりどりの羽根飾りを付けたダンサーの華麗なステップに大迫力の演奏がきっとやみつきになるかも…ヽ(^o^)丿 (リポーターは石田忍でした!)DSC_0061DSC_0035

1、2、3、そして8と30

八月十五日、日本は69回目の終戦記念日を迎える。「宣戦を宣告するのは老人だが、戦死しなければならないのは青年である」ハーバート・フーバーの言葉である。yjimage[6]そして終戦記念日を遡ること数日、8月6日は広島の、8月9日は長崎の原爆忌である。世界文化遺産の候補にも挙がった「日本国憲法第9条」は大切に残したいものである。

また、昭和60年8月12日には日航機が御巣鷹の屋根に墜落し、520名の尊い命が奪われている。吹奏楽部でクラリネットを吹いていた私の高校時代の先輩も、この事故でかえらぬ人となってしまった。翌年、ご両親をお招きして、励ます会と偲ぶ会を開催したことを覚えている。

私にとって「お盆」がある8月は、一年で一番嫌な月ともいえる。さらに加筆すれば、日航機墜落から一か月前(7月13日)に弟が亡くなっているのである。先天性心疾患を患っていた弟は、東京女子医大で2度目の手術を受けた。38歳であった。ICUで体中に生命維持装置を付けられ、スパゲティー状態で亡くなったのを昨日の事のように覚えている。術前、主治医であった橋本という教授は、「手術の危険性は30%」と説明してくれた。私たちは手術の成功する70%を信じた。でも、弟は亡くなった。私はこの30という数字も、いまだに好きになれない。

「モノの始まりが1ならば、国の始まりは大和の国、島の始まりが淡路島、ドロボーの始まりが石川の五右衛門ならば博打打の始まりは熊坂のチョウハン」yjimage[1]お馴染みのフーテンの寅さんこと車寅次郎の啖呵売のさわりである。私のとってブルーな8月であるが、心が和む数字の絡んだ名言集を読破したので、そのほんの一部を紹介したい。今回は「1・2・3」に関するものを・・・

「イギリスには60もの異なる宗教があるくせに、ソースはたった一種類しかない」(フランチェスコ・カラチェロ」

「恋とは、二人で一緒にバカになることである」(ポール・ヴァレリー)

ファースト・キスは、女にとって始まりの終わりに過ぎないが、男にとっては終わりの始まりである」(ヘレン・ローランド)

「結婚後も夫は変わっていないという女性は10人中わずか1人。10人に9人は変わったと答え、三人に一人は悪いほうに変わったと答えた」(ギャロップ調査会)

「人間は一匹の虫も作れないが、1ダース以上の神を作った」(ミッシェル・モンテーニュ)

「下手な外科医でも一度に一人しか傷つけないが、ダメな教師は130人をいっぺんに傷つける」(アーネスト・ボイヤー)

二人目の参加者さえいなければ、だれでも勝てる」(ジョージ・エード)

二ヶ国語を話せるバイリンガル、三ヶ国を話せるのはトライリンガル、一ヶ国語しか話せないのはアメリカ人」(英語のジョーク)

「人生のすべて次の二つから成り立っている。したいけど、できない。できるけど、したくない」(ゲーテ)

「人間にとってたった三つの事件しかない。生まれてくること。生きること。死ぬことである。生まれる時は気がつかない。死ぬときは苦しむ。そして生きている時は忘れている」(ラ・プリュイエール)

「セックスは第三者がとやかく言う問題ではない。関係者が三人いる時以外は」(作者不詳)

そして最後に、yjimageEDP6ID37

「人と人の距離を最も縮めてくれるのが、笑いである。」(ヴィクトル・ボルゲ)

「最後に笑う者は、おそらくジョークが解らなかったのだ」(マーフィーの法則)

『本質を見抜く名言集・晴山陽一著』より             伊藤 克之

 

自己紹介

今年の3月24日にケアワーカーとして入職致しました、今 隆志(こん りゅうじ)と申します。現在の仕事に就く前は、10年程サービス業に勤めておりました。その職場はお客様とのコミュニケーションを大切にしている職場でした。ご来店されるお客様img51[1]はご年配の方が多く、日常の事や仕事の事など色々な事をお客様とお話しするのが毎日楽しみでした。昔からご年配の方とお話しする事が好きで、いつかは介護の仕事に就きたいと考えておりました。去年仕事の仲間にこの話しをすると「絶対向いてるからやったほうがいいよ!」「やるなら今しかないよ!!頑張れ!!」等色々な言葉を頂き「やってみよう!!」と決断し、介護の世界へと入りました。入職当初は何もわからず不安もありましたが同じ位楽しいと思える事も沢山ありました。roujin_syokuji[1]

現在3ヶ月という短い期間ですが、色々な事を経験致しました。ある入居者様はお食事の時に、何を食べても「おいしくない」「まずい」と仰いました。ですが先輩職員の方々が、「今朝獲れた魚だからおいしいよ!」「oo産の魚だから一口食べてみて?」等色々なお声掛けを行う事により最近では「おいしい」と食べて下さいます。本当に嬉しくて笑顔になってしまいました。男性の入居者様は私が入職してすぐに手に怪我をしてしまい自分の力でご飯を食べる事ができなくなってしまいました。3ヶ月経った今でも自力でご飯は食べれませんが、自分で新聞を見たり、手を振ったり、以前よりは手も動くようになりました。あまり動かなかった足もかなり動くようになりました。最近では私の名前も覚えてくれたようで、「今さん」と呼んで下さいます。毎日色々な事がありこの仕事に就いて本当に良かったです。

まだまだ知識も、経験も浅く未熟な部分が沢山の私ですが、これからはもっと入居者様のお役に立てるように、知識、技術の向上を行ってまいります。その為に、ヘルパーの資格取得や、研修の参加等多くの事に挑戦していきます。また、ご入居者様のお名前を覚える為に、積極的にコミュニケーションを取らせて頂きたいと思います。私は体も大きくわかりやすいと思いますので、皆様も見かけたら是非話しかけて下さい!CIMG2103

「仕事は愉しく!!」という気持ちを常に持ち続け、ご入居者様にも楽しく生活して頂けるように一生懸命頑張りますので宜しくお願い致します。

ケアハウス 今 隆志

 

 

 

 

 

 

 

湘南の地平塚・真土そして今里

3日間で165万人の観光客が訪れた「第64回湘南ひらつか七夕まつり」2imageを終えた平塚の7月8日は、真夏日のように暑く、日差しも強く、痛く感ずるほどである。一方、沖縄地方には大型の台風8号が接近し、島民は大変な思いを強いられている。よく災害に見舞われる九州、沖縄、そして紀伊半島等々の人々には申し訳ないが、「ういすたりあ」がある湘南地方は、温暖で風水害の被害もほとんど発生しない土地柄である。もっとも今年の2月には珍しく大雪に見舞われた。しかも2度に亘って難儀を強いられた。しかし、この雪も北国の人に言わせれば雪が積もった範囲に入らないのかも知れない。

このような自然と気候に恵まれた湘南の地、平塚市真土(しんど)今里(いまざと)に「ういすたりあ」は存在する。近世の歴史書を紐解くと、yjimageUZ787A2N新土村(明治初年に真土と表記を改める)の南方には東西に中原道が走り、中央を南北に糟屋道が通る、家数107戸、馬7頭、荷車3台、人力車1台の農業9割、工業1割(明治9年)の薩摩芋作りが盛んな地であったといわれている。その中にあって、今里は鎌倉浄光明寺華蔵院領として寄進され、諸公事等が免除されていた土地であったそうである。

さらに歴史を遡ると、旗本・若林、旗本・本多、幕府直轄の三給の地から宝暦10年(1760年)旗本・若林領と下総佐倉藩領になっている。我家が参加している「稲荷講」のお稲荷さんの名称が「佐倉稲荷」となっているのも、このあたりに由来しているものと思われる。そして嘉永3年(1850年)10月17日から19日に佐倉藩領内で「種痘」が実施され、村民32名がこれを受けている記録が近所の家に保管されて残っている。安政3年(1856年)8月25日夜、大風雨により屋敷、雪隠、物置などの全半壊27棟、新土村等佐倉藩12ヶ村に助成金25両余、挽割麦5斗余が下されるとの記録がある。これ以外、この地は大きな災害にあっていないようである。

書物を紐解くまでもなく、富士山の宝永大噴火(1707年)、大正の関東大震災(1928年)はマスコミ等でよく取り上げられており、私たちの記憶に新しいものの、避難生活を余儀なくされるような災害の経験はない。もっとも太平洋戦争では、平塚に海火薬廠が存在していたため連合軍の空爆の標的となり、旧平塚の中心部は焦土と化したが、このB29による空爆さえ真土は免れている。本当に穏やかな、やさしい地域柄であり、ちょっと足を延ばせば鎌倉や横浜、箱根・富士山といった観光地を訪れることができる、皆様に誇れる風光明媚、温暖な風土であると思っている。

一方暗い出来事としては、私が幼いとき祖父によく聞かされた事件があったのも確かである。明治11年10月26日夜、地租改正に伴う地券発行をめぐる質地取戻しの争いに端を発し、村民20数名によって質取主・松木長右衛門一家7名が殺害される「真土事件」が起きている。

しかし、私たちは地球温暖化による異常気象が原因と思われるゲリラ豪雨、風水害、土砂崩れ、地震、竜巻等の天災にいつかは見舞われることを想定し、備えと心の準備は怠らないようにしておかなければならない。

日本歴史地名大系(平凡社)を参考に原稿を作成致しました。    伊藤 克之

 

この度、社会福祉法人則信会の現況報告書及び平成25年度法人経営状況を「全国経営者協議会」のホームページに掲載致しました。下記URLよりご覧ください。

http://www.keieikyo.gr.jp/cswm/foundationview.php?viewno=3254

上記URLで閲覧出来ない場合は大変お手数ですが、下記URLより則信会を検索して下さい。

http://www.keieikyo.gr.jp/

 

 

 

疑心(義歯ン?)暗鬼

5月35日、すなわち6月4日は、中国政府が最大級に敏感な「語」だそうである。25年前に天安門事件が起きた日であるが故である。中国では、6月4日とネットに書けば当局に削除される。監視をかわす隠語として広まったのが5月35日だったそうである。(朝日新聞・天声人語より)

わが国で6月4日といえば、昭和3年から昭和13年まで日本歯科医師会が実施していた「虫歯予防デー」が馴染み深い。41p-16この呼び名も平成25年度から厚生労働省の通達により「歯と口の健康週間」(6月4日~10日)と名称が変更された。この歯と口の健康に関する正しい知識の普及啓発、歯科疾患の予防に関する適切な習慣の定着、そして早期発見早期治療の啓蒙活動も昭和3年の「虫歯予防デー」に始まり、「護歯日」「健民ムシ歯予防運動」「口腔衛生週間」「口腔衛生強調運動」再度の「口腔衛生週間」そして「歯の衛生週間」等々多くの名称を変えてきた。これに伴って、歯科医師の業務の重心も抜歯を中心とした「外科治療」から義歯や架橋義歯(ブリッジ)等の「欠損補綴」、歯を温存する充填・被覆(インレー、クラウン)治療、そして予防・矯正・審美歯科へと移行していった。

私の学生時代のクラス担任であった押鐘教授が2千ページにも及ぶ著書「医師の性科学」の中で義歯に関して興味ある記述をしておられるので、二点ほど「歯の衛生週間」にちなんで読者にご披露させていただく。

フランスに留学中の日本人の某医学博士が、仲間と一緒に面白い所に遊びに行かれた。そしてクジ引きで当たった女性から、彼は一つの命令を受けた。それをやるのは、フランスでは女性に対するエチケットになっているのだという。仕方がないから、彼はエチケットに従ったところが、毛が鼻の穴に入ったので、大きなクシャミが出てしまった。慌てて行為をやめて見たら、女性の部分に歯が生えている。びっくりしてよく見たら、それは吹き飛んだ自分の局部義歯であったという。この話を聞いた著者はpartial denture に局部義歯という名を付けられた、歯科の先輩学者の先見の明に、全く感心した。(筆者注:欠損補綴・義歯には、主に残存歯がないときに装着する総義歯と残存歯が何本か残っているときに装着する局部義歯とがある。でも、本当かなァ~。筆者には歯科と解らん!)

 

お酌の磯千代は、まだやっと十六になったばかりだけれど、芸者家業の常道とでもいうのか、それとも親娘ほどに歳の違う旦那の斯道の教育がよろしかったからか、大柄でもあったがひどくませた妓で、そのくせ妙に可憐なところもあった。北の寒い国に生まれた磯千代は、酒もかなり強かったがこんなところで遊ぶ男達にはかなわなかった。酔った彼女は、ふらふらと立ち上がって、そっとお座敷を抜け出そうとした。

「逃げるのかい?」

「いいえ、逃げやしないわ。バルコンへ行ってちょいと頭を冷やしてくるだけ」

露台には物干し台がある。その闇の中に白いものがふわふわしていた。幽霊?そんな馬鹿なことがあるものか。洗濯物を仕舞い忘れたと思ったのが、酔っている磯千代の錯覚だった。その白いものがこちらに歩いてくる。磯千代は一時に酔いが覚めたように吃驚した。「まあ!あんただったの?」

二人は抱き合った。まだ内緒事の恋人らしい抱擁、接吻。その時何が落ちたのか、露台のコンクリートの上で変な物音がした。

「乱暴ね。何か落ちたわ。私の懐中鏡じゃないかしら?」

そんな物音だった。が、それは懐中鏡ではなかった。男の総義歯が、口から飛び出したのである。男はこの待合の板前だった。yjimageTXZQCMMP

男があわてて露台を犬のように這いまわって、その落し物を探しているのを、磯千代はぼんやりとその傍に立って・・・悲しい気持ちで見ていた。(義歯のエロティシズムかな?)                              伊藤 克之

GWでの出来事

最近は春の陽気の割には暑く感じる日が増えてきましたね。それでも朝晩は、まだ少し冷え込むというか涼しく感じます。6月に入り、そろそろ梅雨の時期ですね。私の知っている場所では蛍が飛び始めました。yjimageKFDVY2GUが、私にとっては蛍よりも4年に1度の、サッカー ワールドカップのほうが楽しみで仕方ありません。ケアハウス所属の江藤義浩です。

今回は、私の出来事というか日常の中で感じた事をご紹介したいと思います。しかし、これを読んで「常にこういった事を考えているの?」と思われるかと思いますが、決してそんな事はありませんので。

さて、本題です。少し前の休みに子供を連れて公園へ遊びに行きました。そこの公園はゴーカート等のアトラクションも少しあるのですが、賑やかな場所というよりも比較的のんびり出来る印象でした。しかし、当日行ってみたら大混雑。何故ならGW中だったのです。メジャーな場所は人混みが激しいと思い、避けたのですが予想が外れました。同じ事を考えている人も多かったようで。

満車の駐車場にどうにか入る事が出来、チケット売り場へ。ここで私の頭の中に「?」が出る出来事が。アトラクション乗り放題のチケットを購入し、入り口に向かおうとした時に、私がチケット購入した窓口の隣から「本日は大変混雑しています。乗り放題のチケットをご購入されても乗り物は1つか2つしか乗れないかもしれませんがよろしいですか?」という売り場の人の声。すると、そこで購入をしていた人は「じゃあ入場券だけで」と返答。

そんなに混んでいるのかなと、yjimageDSEQOVKA不安になりながら入場すると、確かに凄い人の数。1つのアトラクションに2時間待ちが当たり前の状態でした。有名なテーマパークなら当たり前の待ち時間でも、ここは山奥の公園なのに・・・案の定、私達はアトラクションを1つだけ楽しみ、その後は待ち時間の無い無料のアスレチックをしてきました。もし、チケットを購入する際に隣の人のような案内が聞ければ、私も入場券だけ購入したのですが。

ここで先程の私の頭の中の「?」のわけですが、チケット購入時の売り場の人のアナウンスは決められている内容なのか、たまたま隣の売り場の人は親切で言っていたのか、どちらだろう?と。親切なアナウンスがあった場合は来場者は得をして、「教えてもらって良かった」と感じますよね?でも公園の営業から考えればマイナスだと思います。逆にアナウンスがなければ、「せっかく来たのだから」と乗り放題のチケットを買われる方は、ほとんどアトラクションを楽しめず、帰宅する事になります。「あんなに混んで並ぶなら他に行ったほうが良い」と考える人もいるかもしれません。でも公園の営業では、チケットの収入が増えますよね。

その場の売り上げを考えた営業スタイルか、お客さんの立場を考えた営業スタイルか、どちらが正しいかはわかりません。

こんな話もあります。yjimageYZMKDLK8あるお蕎麦屋さんで、出前注文の際に「最近は出前が多くて人件費が掛かるから10円値上げしよう」と考えた店主と、「出前の電話をいただくのだから10円返金しよう」と考えた店主。

みなさんは、どちらの考えでしょうか?私は「お客さんの立場を考えた」事を優先したいと考えていますが、そればかりでは商売として成り立たないでしょうから難しいところですよね。

こんな日常の些細な事から色々と考えている事がありますが、決して捻くれているわけではないと自分では思っているので、お付き合いのある皆さん、これかも仲良くして下さいね。                  ケアハウス所属  江藤義浩

 

目から鱗

私の父は典型的な会社人間であった。朝六時前には家を出て、四キロ先にある駅まで自転車で向かい、私たち兄弟や母、さらには同居する自分の父や祖母までを養うために、目いっぱいの残業をこなし、夜は私が寝ついてから帰宅するような生活であった。そんな父が「肩たたき」にあい、長年勤めた会社を辞めた。

時代が昭和から平成に代る頃だったと記憶している。玄関先に植えてあった植栽・柊の剪定に没頭し始めた。伸びた幹を切り、小枝を刈り上げる作業を生業のようにいていた。しかし、翌年になると柊の高さは半分程になっていた。そして、翌々年柊根だけを残して伐採されていた。果たせるかな、あくる年にはスコップと鋸を駆使して柊の根の掘り起こしに没頭している父の姿があった。徐々に徘徊が始まったのもこの頃からであった。CIMG0764ある時は徒歩で、ある時は自転車で、結構遠くまで遠征していた。親切な人には送られて、時にはパトカーで送られて帰ってきた。電話で父の存在を知らせてきてくれた人たちに対しては、即座に受け取りに行き、平身低頭でお礼を述べて引き取った。家に囲い込むと、家の中でも昼夜逆転、徘徊始まり、トイレと冷蔵庫とを間違え、冷蔵庫を開けてその中に小便をする始末であった。晩年の父には苦労をさせられた思い、大きな声で叱った思い出しか残っていない。今のように「介護保険制度」が確立されていない時期に、母や家内は私以上に苦労をさせられていたのであろう。

「ういすたりあ」は特定施設ケアハウスである。一言で言うと「介護保険制度を必要としない、自立した高齢者が元気なうちから入所できる特別養護老人ホーム」である。現在、介護保険制度を利用して入所されていらっしゃる方の中には認知症状の相当進んだ方もおられる。CIMG0765徘徊、介護への抵抗、昼夜を問わず、ひっきりなしのナースコール、ヘルパーへの罵詈雑言等々。このような環境に耐え、献身的に介護する職員に私は、昔の至らなかった自分を恥じ、職員にただただ心の中で手を合わせ、頭を下げるのみである。

今年のGWに「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」(長尾和宏・丸尾多重子著、ブックマン社刊)を完読した。そしてかつての自分を恥じた。この本の中には「介護」ではなく「快護」をしよう、認知症は「忘れる」のでなく、「新しいことを覚えられないのだ」(近藤誠氏談),ケアマネに求められるもの、介護施設の見学ポイント、認知症薬の現状等が記載されていて、介護の現場で活躍している人の忌憚のない意見・感想に触れることができて感激をした。中でも「介護にたった一つの正解はない」『人間はボケていくとすごく素直になっていくんです。嘘や虚勢や人を騙すことをしなくなる。心が裸になって、人間の本質を見せてくれる。だから「介護とは何か?」を考えることは、実は「人間とは何か?」を考えることでもあるんです。CIMG0766「学び喜ぶ」もあれば「その人の本質に出会える喜び」もある』というフレーズには、強く心を打たれた。認知症と言われる方々への認識を新たにした次第である。

お陰さまで晩年の父に対する私の見方も変わってくれそうである。有り難い一冊であった。                伊藤 克之

お 花 見

近隣の桜の先頭を切って咲き誇っていた「ういすたりあ」の河津桜も、近くの渋田川両岸に植えられた500本のを超えるソメイヨシノにその席を譲った。CIMG0762平塚「花菜ガーデン」では、近年経験したことない大雪に耐えてきた桃、菜の花、カーネーション、水仙、チューリップ等が、心待ちしていたかのように競って咲き始めた。

しかし、南北に長い日本の「北国の春」はまだ遠い。

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白樺 青空 南風

こぶし咲くあの丘 北国の     ああ 北国の春

コブシ(辛夷)は、早春に他の木に先駆けて白い花を咲かせる、別名「田打ち桜」とも言うのだそうである。当地平塚での田打ちは5・6月ごろ行われるので、コブシの花の咲く時期と一致はしないが、春の遅い北国では、コブシの花の開花も、もっと遅いのであろう。

「北国の春」の歌詞はさらに続き、

季節が都会ではわからないだろうと   届いたおふくろの小さな包み

と唄っている。故郷にいるお母さんからの便りも、手紙から電話に替り、今日ではメールでのやり取りに替わっている。

ういすたりあの近くにあるマンモス団地は、独居老人、高齢者夫婦の入居率が高く、したがって、高齢化率が著しく高い。団地に住むある独居のお年寄りは、おふくろからの小包ならぬ息子からの宅急便を心待ちにしている。その中身は、衣類であったり、野菜であったり、レトルト食品であったりする。荷物の中には、息子の近況を知らせる手紙でも入っているのであろうか。独居生活をしているおばあちゃんは、「長男はこれを送ってくれた」「二男からはこれが届いた」と、毎日大喜びで自慢をしている。私には、この自慢話が老婆の独り身の寂しさを物語っているように思えてならない。

「便りのないのは、いい便り」と言ったのは昔のことである。高齢化日本にとっては、「孤独死」に象徴される家族の安否確認を日々怠ってはならない。CIMG0756願わくは、遠隔地にいるお子さんたちもお母さんのもとを訪れて、一緒にこの桜を楽しんでもらいたいものである。古典落語の「長屋の花見」ではないが、花見弁当の卵焼きが沢庵に、蒲鉾の代用が大根に、お茶を代用に使ったお酒が「オチャケ」になってもいいじゃありませんか。きっと湯呑の中に酒柱が立って、何か良いことがあるでしょう。

伊藤 克之