お休み処「わびすけ」

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難 し い 苗 字

10日ほど前のことである。日本経済新聞を読んでいると、ある会社の社員が紹介されていた。「宮广」さんという方である。しかし浅学の私には、初めて見るこの苗字を何と呼んだらよいか解らなかった。調べてみると「みやま」と読むのだそうである。ニコニコ大百科によると、この苗字は全国でも10人程度しか存在せず、順位からゆくと86,062位の珍しい苗字であることが解った。

さらに珍しい苗字を調べてみた。雲母(きらら)、回り道(まわりみち)、凸守(でこもり)、榮倉(えいくら・この苗字の女優さんはテレビでよく見かける)、蓼丸(たでまる・女優綾瀬はるかの本名は蓼丸綾さん)、小浮気(おぶき)、辺銀(ぺんぎん)、蟋蟀または興梠(こおろぎ・この方は確か平塚にもいらしたと記憶している)、猫屋敷(ねこやしき)、人首(ひとかべ)、百目鬼(どうめき)、七五三田(しめた)、五六(ふのぼり)、勘解由小路(かでのこうじ)、御薬袋(みない)、降魔(こうま)、奉日本(たかもと)等々日本には数世帯しか存在しない苗字とのことであった。さらに邪答院(けんとういん)、野ざらし(のざらし)、さんにあっては1世帯しか存在しないらしい。DSC_1477

そこで夏向きの苗字を調べてみた。葉月、日傘、金魚、素麺、氷、七月の季節にまつわる苗字には、中元、天川、天神、祇園、七夕、海、土用、鰻、朝顔などが出てきた。さて、読者の皆さんはどの位読むことができたでしょうか?

さらに珍しい苗字、判読が困難な苗字を調べた。「小鳥遊」と書いて「たかなし」と読むそうである。小鳥が遊ぶ→天敵がいない→鷹がいない→たかなしとなったそうである。このような論法でゆくと、「月見里」と書いて「やまなし」と読むのは何とか理解できそうである。「南足」と書いて(きたまくら)、「栗花落」(つゆり)は、栗の花が咲く頃梅雨入りすることから、梅雨入り→つゆりとなったそうである。

だんだん難しくなってきました。「一」と書いて「にのまえ」、「九」と書いて「いちじく」、「十」と書いて「つなし」と読む。これは、一つ、二つのように数える時に、十は「つ」が付かないところが語源であるとのことである。では、文章での説明は非常に難しいが、「十」とよく似た漢字で、十の二画目をはねた文字、若しくは「寸」の三画目の点がない文字、もっと例にたとえれば「丁」の一画目の横棒を二画目の縦棒が貫いただけの一字の苗字はなんと呼んだらよいのであろうか?「十」ではないというしるしに、二画目の縦棒を撥ねて用いるところが肝要である。この苗字は北海道にたった1世帯存在する方の名前である。行書体では、「木」の縦棒は撥ねる。「木」の文字の両側の払いを除いてできた文字といいわれている。DSC_1545

「もげた木」→「もぎき」「もげき」か、はたまた「えだなし」か判然としなかった。正解は「もぎき」であった。2010年7月18日に放送されたフジテレビ系列の平成教育学院でこの苗字の人物が「もぎき」と名乗って、正しい読み方が判明したそうである。

今日は七月一日、数字の入った苗字を記して拙文を閉じたいと思う。四月一日(わたぬき)、五月一日(あお)、六月一日(うりはり)、八月一日(ほずみ、ほづみ)、八月十五日(なかあき、あきなか)、十一月二十九日(つめづめ)、十二月一日(しわすだ)、十二月三十一日(ひづめ)【参考:インターネット・ニコニコ大百科、エンタメハウス】

伊藤 克之

六 月 (水無月)

ー雨にぬれながら たたずむ人がいる  傘の花が咲く土曜の昼下がり ・・・

この時期になると思わず口ずさみたくなる三善英史の懐かしの歌謡曲「雨」である。

六月というと絵になるのが雨と紫陽花。yjimage私はドイツ生まれのオランダ人医師・Fシーボルトが学名を付けたという紫陽花が大好きである。前述の「人」の歌詞を「花」または「紫陽花」に置き換え、「雨に濡れながら咲く花がある」と歌いたいくらいに、紫陽花には雨とカタツムリがよく似合っている。

そしてジューンブライド。ジューンブライドといえば教会と新婦のベール、日本の花嫁といえば神前結婚式と文金高島田、そして「角隠し」が頭をよぎる。新婦のベールは「両親の保護」を意味しており、そのベールアップをする新郎の行為には「これからは私が新婦をお守りします」といった意味が込められているのだそうである。

一方、日本の花嫁の白い「角隠し」には、「私の心は真っ白で無垢です。これからは貴方に添い遂げて、いかなる色にも染まります」といった意味があるのだと母から聞いた覚えがある。今の時代にはチョット馴染みにくい、前時代的な男尊女卑の思考かもしれない。

前月(五月)中旬より、「ういすたりあ」では脳活性化事業として「藤の花学校」を開校した。高齢者が対象の学校であるが、いざ参加してみると随分と教えられる部分がある。一番びっくりしたのは、理科の授業で「烏賊・いか」に心臓が三つもあることを知ったときである。人間の心臓は心房、心室が左右に分かれているので、心臓は1つしかないが、烏賊は心房、心室が独立しているので、血液を浄化し酸素補給をする心臓、きれいな血液を送り出す心臓、そして老廃物を含んだ血液を心臓に戻す役目の心臓と三つの心臓が必要なのだそうである。

ちなみに、烏賊は漁師たちが中身を抜いて酒などを入れたところから、一杯、一盃と数えるようになったといわれている。カニやアワビなども同様である。しかし、この烏賊が干物となり鯣(するめ)と呼ばれるようになると、その数え方は一枚、一蓮、一折(ひとおり)と数えられ、十枚で一束と数えられる。

余計な事かも知れないが、5月29日(日)の日本ダービーで走った馬たちは、一頭、二頭と数える。間違っても一着、二着と数えないでほしい。しかし、昔は一匹、または一疋と数えたこともあった。そして馬に人が乗り、人馬が一体となった時の数え方は一騎、二騎と数える。

「藤の花学校」の生徒さんは、年少者は70歳を超えたばかりの人から、年長者は103歳のおばあちゃまである。本人の名誉もあるので、これは誰とは言わないが、ある日先生(先生役はういすたりあの職員)とこんなやり取りがあった。DSC_1486

-お差し支えなかったら、あなたのお歳を教えていただけませんか?

-ええ、構いませんよ、結婚したとき、あたしが二十歳で、夫が三十だったわ。いま、あの人が三倍の九十歳だから、私も三倍の六十だわ。夫唱婦随の夫婦ですもの

- ・・・?

ういすたりあ「藤の花学校」では、近日中に「算数」の授業も予定している。

伊藤 克之

 

五月 そして 石川啄木

五月、鯉のぼりが泳ぎ、新緑の爽やかな季節である。冒頭に野内良三先生の著書から引用した外国のジョーク「かつぎ屋」を紹介する。

-おれはどうしてこう縁起をかつぐんだろう! おれは五月五日の午前五時に生まれた。五十五歳の誕生日に五十五万五千五百五十五番の宝くじを買った。そして五百万ユーロ当たった! それからその足で競馬場に走り、五百万ユーロすべて第五レースの五番に賭けた。

-それはすごい! それでいくら儲かったんだい?

-それがすべてパーさ。おれの賭けた馬は五着ではいってきたんだよ。

 

湘南地方の桜はすでに葉桜と化しているが、みちのく盛岡の桜はゴールデンウイークの頃が満開である。yjimage[6]特に盛岡検察庁庭の「石割桜」や不来方(こずかた)城址公園の桜は見事である。また、盛岡から少し離れると、さくらの名所100選に選ばれた北上展勝地がある。150種、1万本の桜が2キロにわたって咲き誇る桜並木は絢爛そのものである。子どもづれ、家族づれには小岩井農場もおすすめである。

この時期になるといつも思い出すのが、岩手・渋民公園の石碑に書かれた石川啄木の短歌である。

-やはらかに柳あおめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくにー

私はこの歌が大好きである。半世紀近く前、単身で盛岡の地に赴任し、寂しい生活を送っていたので余計心にしみたのかも知れない。また、

-不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心ー

といった歌も、すぐに覚え、いまだに忘れられない歌となっている。

-たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまずー

-はたらけどはたらけど なほわがくらし 楽にならざり じっと手を見るー

有名な啄木の歌である。yjimageSHUNLD5M

石川啄木は26歳の若さで逝ってしまったので、残されている写真は当然若い頃のものしか存在しない。が、その写真で現された端正な顔立ちに似合わず、啄木は鬼畜と呼ばれる程であったという。妻子を省みず、借金はする、女遊びも激しいもので、「石川くん=女の敵」と呼ばれる程であったらしい。しかしこんな最低男なのに、金田一京助をはじめとする良き友人たちには恵まれていた。彼のどこか憎めない純真さや可愛さが存在していたので、現代に生きる私たちの心に響く歌が詠めたのであろう。

写真におけるハンサムなところは土方歳三にも似ており、借金が上手なところは野口英世にも似ている。そして15歳の心を歌い、卒業を目の前にして中退し、26歳の若さで他界したところは尾崎豊にも似ている。

-誰にも縛られたくないと逃げ込んだ、 この夜に自由になれた気がしたー (尾崎 豊)

伊藤 克之

「もう、プッ!さん」の「おんなの半生」

春、桜の季節である。湘南地方は「ソメイヨシノ」が満開の時期に入学式を体験できる幸せな地域である。

長く続く桜のトンネルをくぐり、桜の花びらのシャワーを浴びて、娘は小学校に入学した。学校が始まると間もなく、担任の先生からこんな問いかけがあった。yjimage[1]

『この一週間、皆さんは大変お利口さんでした。皆さんは、学校にも大分慣れてきて緊張感もとれてきたと思います。いつも大きな声で「はい! はい!」とお返事ができ、先生は大変うれしいです。お利口さんです。では、皆さんはお家ではどうでしょうか? お家でも「はい! はい!」ってママのいうことを何でも聞いていますか? 皆さんのお家では、ママのいうことを一番よく聞くのは誰かな?』

すると娘は大きな声で答えた『先生! もちろん、パパで~す!』

 

ある時、子供の成績表が配られた。娘の成績表を見ながら父親は言った

「なんだ、これは! 零点ばかりじゃないか! で、今度はどんな言い訳しようっていうんだね?」

「えーと、いま迷ってるところなんだけど・・・ 遺伝のせいにしようかな、それとも環境のせいにしようかな?」

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娘は育ちがよいせいか、トイレに行くのも恥ずかしがっている。ましてや人前で放屁などしようものなら、自殺まで考えそうである。しからば、我慢にガマンを重ねた「屁・wind」は、どこへ行ってしまうのであろうか?

我慢したオナラは、大腸から吸収されて血液中に入る。そして、体内を巡り、一部は尿に溶け込んだり、肺を通じて呼気として口から出てくるのである。人前に「ゲップ」をするのは、慎みたいもである。

ここでチョット注意を払っていただきたい。賢明な読者は「屁・wind」の フレーズをお忘れではありますまい。私が東北に旅行した時のことである。バスガイドさんから聞いた話しなので信憑性は定かではないが、皇族の方々は「屁」のことを「オマタかぜ・お股風」とおっしゃるのだそうである。まさに皇室では「屁」のことまで英語を使って会話をなさっているのである。

 

 

娘が中学、高校と成長するにつれて、いろいろな特徴を持った同級生が現れてきた。

人を見下して眼中におかない、いわゆる「屁とも思わぬ人」

他人に対して何一つしない、いわゆる「屁も噛まさぬ人」

過ちをしでかした後で取り繕うとする、いわゆる「屁を放って尻窄め(シリツボメ)」の人等々である。

こんな環境で成長した娘は、いつしか臭才(秀才)とよばれるようになり、看護師を目指して看護学校を受験した。

試験官が彼女に質問した。

「十倍にも膨張することができる人間の体の部分はどこでyjimageK9R58LH3すか?」

「それは・・・それは・・・あのー、口に出して言えません。」

「そうですか。それでは私が答えを言いましょう。それは目の瞳孔です。さて、これは試験とは関係ありませんが、老婆心ながら忠告しておきましょう。あなたは想像力のたくましい方のようですが、人生であまり大きな幻想を抱くのは禁物です」

花見酒に酔って屁(へ)ンな文章を書いてしまった。彼岸のギ・ド・モーパッサン(仏・作家、劇作家、詩人)もさぞお怒りのことと思う。斯く言う私も屁ン人(変人)と自覚している。

伊藤 克之

創 立 記 念 日

社会福祉法人則信会は平成10年3月19日に、神奈川県知事より法人認可を受けました。そして3月23日に法人登記が完了しましたので、この日を以て法人の創立記念日としています。写真①

法人設立準備時期には、厚生事務次官と埼玉県の彩グループの不適切な関係がマスコミに取り上げられ、あらぬ疑いをかけられたり、近隣住民の反対運動にあったりして、大変な苦労をしたと聞いています。

写真②

また、この年は政治の世界では新進党の解党に始まり、参議院での自民惨敗、自民・自由連合の動きで1年を閉じました。先行きの見えない経済不況に北朝鮮のミサイル発射等を考えると、昨今の日本と似ているような気がします。和歌山県の毒入りカレー事件は、忘れえぬ出来事でした。しかし、スポーツ界では冬季長野オリンピック開催、渡辺監督率いる横浜高校の甲子園春夏連覇、プロ野球での横浜の38年ぶりの日本一等々、明るい話題もありました。

写真③

社会福祉法人則信会は、翌平成11年にケアハウスういすたりあ、デイサービスセンターういすたりあを開設・開所し、平成13年にはケアセンターういすたりあを開所し、居宅支援と訪問介護にも事業を拡大し、今日に至っております。私たち職員一同は、日々研鑽に励み、より良いサービスの提供を目指しています。これからもよろしくお願いいたします。       施設長 石田 忍

写真④

(これらの写真は平成11年に行われた竣工式の様子です)

 

 

 

 

 

日 曜 日 の 朝

2月、最後の日曜日の朝のことである。TBSテレビでは「げんきの時間」を放映していた。テーマは「身体の不思議」である。その中で、「(手の)爪は何のためにあるのか?」という質問を街頭で受けていた中年のご婦人が、、「(缶コーヒーや缶ビールなどの)プルトップを引き上げるため」と回答していた。なかなかの迷回答である。

私は咄嗟に落語のマクラを思い出した。どんな噺家だったかは覚えていないが、yjimage[4]与太郎の「馬の顔はどうしてあんなに長いんでしょうかネ?」という問いかけに対して、旦那は「そりゃお前、飼葉桶(カイバオケ・牛馬に飼料を与えるオケ)の底が深いからだよ」といった珍解答で応じる話である。すると与太郎は、「それじゃあ旦那さん!馬が生まれる前から飼葉桶はあったんですかい?」というやり取りの場面である。前出のご婦人を引き合いに出させてもらえば、人間の爪よりプルトップが先に存在したことになる。

話は変わるが、北海道大学大学院准教授の長谷川英祐先生は、「働かないアリに意義がある」の著書を発刊されている。働かないアリは、アリの社会の維持に不可欠であり、働かないアリだけで集団を作ると、やがて働くアリが現れると記されている。この傾向は、アリに限らず、ハチやアブラムシの一部、哺乳類のハダカデバネズミといった「真社会性生物」の世界にも存在するらしい。yjimageUJ8UGFRY

一方、巷間よく使われている法則に「2-6-2」というものがある。つまり、グループの優劣は2割の優秀なグループ、6割の普通のグループ、そして2割の周囲の人について行けないグループに分けられるという法則である。企業とすれば、また経営者とすればこの上位2割の「人材」が欲しいわけである。しかし、この上位2割の「人財」を採用したとしても、このグループはやがて2-6-2にグループ化する。また、下位2割の手の掛るグループだけで仕事をさせてみると、この2割のグループもやがては2-6-2にグループ化されるという法則である。

この2-6-2にグループ化する根拠は、長谷川先生の論を借りれば、「反応閾値」なのではないだろうか? つまり。仕事や勉学に対する腰の軽さやフットワークの良さの個体差ではないだろうか?

鄧小平は「先冨論」でこう言っている。「豊かになれる人からなればいい。そしたらみんなが後に続く」 この論を借りれば、まず「優秀な2割」に重要な仕事や権限を与え、この2割をエリート化し、豊かにさせましょう、ということになる。

しかし、2014年・NGOオックスファムの発表によれば、世界最富裕層85人の資産総額が下層の85億人(世界の人口の半分)相当すると発表している。現在の地球上では、この貧富の差はさらに拡大しつつある。このような人間の世界を、アリさんやハチさんはどう見ているのだろうか・・・。

伊藤 克之

新聞記事拾い読み

いつの日であったか、作家の曽野綾子さんが「どんな雑誌にも、出版物にも、多くの場合初版には誤植があっても仕方がないのだが、時刻表には、どんな改正直後にも誤植がないらしい」とコラム(産経新聞・小さな親切、大きなお世話)に書いておられた。現在は定かではないが、ベストセラーにとまで言われ、活字の数が天文学的に多き時刻表に誤植が無いということは驚きである。

それに引き替え、インターネットを辞書代わりに使い、キーボードを鉛筆やペン代わりに駆使している現代人は、ちょっとしたことで変換ミスを犯す。耳鼻咽喉科(耳鼻淫行科)、厚顔無恥(睾丸無知)、生徒会館(性と会館)、経済波及効果(経済は急降下)等々である。yjimage6FJR3SLXこうなると、日銀・黒田総裁が唱えるマイナス金利も個人預金にまで波及するのではないかと思い込み、タンス預金者が増え、果ては空き巣の思う壺となってしまう。

死んでしまいそう→新弟子埋葬

初乗車の加藤さん→発情者の下等さん

あなたの顔、何回も見たい→あなたの顔、なんか芋みたい

何かと胡散臭いときがある→何か父さん臭うときがある

上手くいかない画像サイズ→馬食い家内が象サイズ(こうなると家庭不和につながる)

クイズ番組でテロップに「正解は金です」とながすつもりが、「政界は金(カネ)です」と言ったミスともなると、まさに今の国会・国会議員のありさまを予言したようにも思える。

話は大きく変わるが、昨年暮れの日本経済新聞に「古紙輸出、鉄より高値」-製紙原料となる古紙(段ボール古紙)の輸出価格が、製鉄原料となる鉄スクラップより高くなっている-とあった。これも私にも驚きである。

我が家で私に課せられた仕事の一つに、新聞等の古紙やダンボールの片付けがある。ダンボールと言っても「赤めだか」に出てくる立川ダンボールでもなければ、東北地方で造られたダンボルニーギでもない。波状に加工した紙の表裏をシート(板状)の紙に挟んで接着し、強度を増した厚紙である。yjimageJGSACPZY私はこのダンボールで作られた箱を解体して、できる限り薄く折り畳み、量(カサ)を減らし、積層したのちビニール紐でくくる仕事を、月に1,2回課せられているのである。最近通信販売での買い物が多く、購入した書籍、食品、薬品、医療用材料等の荷物は、ことごとくダンボール箱に詰められて送られてくるので結構な仕事量になる。盆暮れの時期になると、この解体・片付け作業の量はさらに増加する。

しかし私は、いつもダンボール箱を解体しながら、これを送ってくださった方達のことを再度思い浮かべて感謝申し上げるとともに、ダンボール箱を作って下さっている方達にも感謝と尊敬の気持ちを怠らない。何故ならば、いかにダンボールを無駄にしないで(切り屑を出さないで)箱や入れる品物にあった間仕切りを作るか、そして解体するときにはいかに容易に板状になるかを考えて設計してくださっているからである。たかがダンボール、されどダンボールである。消費者と対面行為のないところで、消費者のことを思ってダンボール箱の設計に智恵を絞っていらっしゃる人々に拍手を送りたい心境である。

気軽にキーボードをたたいて誤字・脱字の文章を作っている自分が恥ずかしく思われて仕方がない今日この頃である。

伊藤 克之

新 春 雑 感

2016年という新しい年がスタートした。今年は4日が月曜日ということもあって、仕事始め早々からスロットル全開を余儀なくされた人も多かったことであろう。

松過ぎの 又も光陰 矢の如し (虚子)

正月と言えば昔は、凧揚げ、羽根つき、独楽廻しyjimage[1]と言った風情を感じられる遊びが多くあったが、昨今は福袋の買い出し、スマホでのゲーム、暇を持て余す人はパチンコに精を出すことが多くなり、お正月に味わう「おせち料理」も宅配便で取り寄せる家庭が増加したと、運送業の人は語る。

冬と言えば「炬燵」こたつと言えばみかんが連想される。こたつに入って家族みんなで会話を楽しみ、年長者から昔のしきたりや地域の風習、行事のいわれを聞く機会は、当の昔に消滅してしまった。近所の子供たちが集まって、「かるた」で遊んだことも懐かしい思い出となってしまった。斯く言う私も、お煎餅をかじりながら本文を書いているのである。

かるたで印象が深いのが、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての約600年間の秀歌を集めた「小倉百人一首」である。この100選歌の43%は「恋の歌」だそうである。小学生になるかならないかの時期に、意味も解らず競って百人一首を覚えようと努力した自分をいま振り返ると、どこか違和感を覚える。yjimage[3]

恋い焦がれる女性に、己の心情を歌に詠んで訴える。それも何度も何度も・・・。私の青春時代であれば「逢いたい気持ちがままならぬ・・・」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ・小樽のひとよ)であり、現代の若者ならばメール一本で完了であろう。「わたし貴方がすき家、だから松屋、でもやっぱり吉野家」で終わりである。当時はまさにのんびりとした、風情のある女性上位の時代であった。

和歌も詠めず、パソコンのメールでしか人間関係が構築できない今の若者が、付け文・恋文とまでは言わなくても、ラブレターを書いたらどんなことになるのであろう。

『こなだこなだ』(こないだはこないだはね)

『へそかゆくて』(忙しくて)

『ろくまくおかし、八銭ですみました』(ろくろくお構いしなくてスイマセンでした)

『そのときはながたけさんくだりて』(その時バナナ沢山くださりて)

『苦しかったわよ』(嬉しかったわよ)

『すぐにわかやまにもちかえり』(直ぐに我が家に持ち帰り)

『仏壇へそなめた』(仏壇に供えたわ)

『こんどきたとき、ミシンがないが、したてるわ』(今度来た時、シミジミ話がしたいわ)

『こんどのひよびに、てにてをつないであべこべいくよ』(今度の日曜日、手に手を取って、アベックで行こうよ)

『あなたははたけのたにしだわ』(あなたは私の彼氏だわ) 【痴楽綴り方教室より】

わたしもまた一つ齢(よわい)を重ねてしまった。  たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松もむかしの 友ならなくに (藤原興風)

伊藤 克之

 

 

ややこしい時代

今朝の天声人語欄は、名前に関する記述内容であった。yjimage216LI8ZOそれによると、今年生まれた赤ちゃんの名前ランキングでは男児の1位は大翔くん、女児の1位は葵ちゃんと書き、それぞれ「ひろと」「やまと」「はると」と読み、女児は「あおい」「ひまわり」「あお」と読むのだそうである。近年は、子供たちに凝った名前を付ける家庭が増え、私は小学校や中学校の先生方にいつも同情している。ちなみに、「子」のつく名前は100位までに莉子、結子、菜々子の三つが入っただけだそうである。

 

高齢の太った有閑マダムが犬を抱っこして散歩していた。すると、すれ違った男性が、「豚を連れて、今日はどちらにお出かけ?」と尋ねた。すると、マダムは、

「失礼ネ! これは犬よ!」と怒った。すると男性は、涼しい顔をして、

「俺は犬に話しかけたんだ!」

出典は忘れたが、私の記憶に強く残っているジョークである。

 

腹を空かした男性が帰宅したのに、夕食の支度がされていなかった。頭に来た男は妻に食ってかかった。

「そういうことなら俺はレストランに行くよ」

妻はけろりとしたもの、

「お願い、十分だけ時間をちょうだい」

男は気を取り直して、語気を改めて、

「すまないネ、すぐに料理を作ってくれるのかね?」

「そうじゃないのよ、顔をつくる時間が欲しいの。私もご一緒するから」(ジョーク・ユーモア・エスプリ大辞典・野内良三著)

 

男は死に、気づいたら、ふわふわした雲の上に浮かんでいた。辺りは無人で物音一つしなかった。男は心細くなって叫んだ。

「誰かいるかあ?」

間もなく白装束の番人が現れ、男に向かって問いかけた。

「何かお望みか?」

「何がもらえるんだい?」

「ここでは欲しいものは何でも与えられる」

「じゃあ何か食わしてくれ」

「どんな料理をお望みかな?言ってくれればなんでも用意する」

男はたらふく食い、惰眠をむさぼり、贅沢三昧の日々を送ることに。やがて、与えられてばかりいることに飽き、別の贅沢がしたくなった。

「何か自分でやってみたいんだ」

「残念ながら、ここでは欲しいものはもらえるが、自分でやったり作ったりはできないんだ」

番人の説明に男は憤った。

「欲しいものを与えられてばかりいたら頭がおかしくなりそうだ。だったら、おれを地獄に移してくれ」

「おまえさんは、ここが地獄だというのを知らなかったのかね」(これが本当のジョーク世界一・天馬龍行編)

 

今年も残り少なくなって参りました。師走とは言え走ることなく、来年も明るく陽気に行きましょうyjimageRD67SEY7

伊藤 克之

七 五 三

yjimage2IA17NLU 11月と言えば? 1000人に聞いたそうである。1位・七五三、2位・文化祭、3位にボジョレーヌーヴォーがきて、4位に紅葉と続くのだそうである。

物の始まりが一ならば、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打の始まりは熊坂の長範、兄(二)さん寄ってらっしゃいは吉原のカブ、産(三)で死んだが三島のおせん、四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水・・・。有名な寅さんの啖呵売の口上であるが、1,2,3,4と続く数字の中でも、日本人には奇数の数字が好まれているように思える。これは中国思想の流れを汲む「陽数(奇数)は縁起の良い数字」という考え方から来ているのかもしれない。

また、日本では奇数は割り切れないので縁起のいい数字だと珍重されている。奇数になぞらえた言葉には、日本三景(松島、天の橋立、安芸の宮島)があれば、三大庭園(金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園)もあり、三大がっかり(札幌の時計台、高知のはりやま橋、沖縄の守礼の門、(長崎のオランダ坂という説もある))も存在する。かつては王選手の1、長嶋選手の3という背番号の奇数字も巷に氾濫した。銭湯の下足札も1や3はいつも最初になくなっていた。野球のルールに用いられる数字も奇数が多い。1チーム9人、1試合9イニング、3ストライクで1アウト、3アウトでチェンジ等である。

春や秋の七草が季節感を醸し出せば、恵比須、布袋、福禄寿、寿老人、大黒天、毘沙門天、弁財天と言った七福神も尊ばれている。ラッキーセブン、世界七不思議と言った言葉も耳慣れた単語となっている。故人を供養する法要も初七日、四十九日、一周忌・・・となっている。

話を七五三の起源に戻そう。昔の村落には、生まれた子どもはすぐには村の構成員として認められず、ある年齢になって初めて、村落共同体の一員として認められるようになるという掟(おきて)や取り決めがありました。その年齢が女児は三歳、男児は五歳でした。また、七歳は幼児から少年少女への折り目だと考えられていました。そして人別帳や氏子の登録も三歳を過ぎ七歳ぐらいまでの間に行われました。(筆者註:当時は乳幼児死亡率が高かったことが大きな原因と考えられる)これでやっと村の子ども組に参加できるようになり、村の中での権利と義務が生じてくるようになったのです。

武家社会になると五歳になった男児は、「袴着(はかまぎ)」、七歳になった女児は「帯解き(おびとき)」の祝いをする習慣も生まれた。また、鎌倉時代以降になると、公家では二歳、武家では三歳に「髪置き(かみおき)」の祝いを行いました。これは赤ちゃん時代から行っていた髪を剃って短いままだった子どもの髪を伸ばし始める儀式です。

そしてこれを武家では十一月十五日に行って、それは室町から江戸時代まで行われていますが、この習慣が民間に広く伝わったようです。(雑学大百科・三公社刊)

また、七五三は三歳で言葉を授かり、五歳で智恵を授かり、七歳で歯を授かることを神に感謝する儀式とも言われている。yjimageS3G9VGNE何はともあれ、七五三は古くから日本に根付いた祝い事なのである。千歳飴を食べながら、我が子の健やかなる成長と長寿を祝ってあげようではありませんか。

伊藤 克之