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プレゼントされた書籍から

一昨年の2月のことである。私は60年振りに高校時代の2年先輩・野澤宏氏にお会いすることができた。私は高校に入ってすぐにブラスバンド部に入部した。そこで右も左もわからない私にトロンボーンを教えてくださったのが、野澤宏先輩であった。suisougaku現富士ソフト株式会社取締役会長執行役員の野澤先輩は、過日の出会いを期に当時のブラスバンド仲間に対しても、会長の半生を綴った雑誌「財界」を送り続けてくださっている。今回の4月7日号で、すでに22回の連載であるが、この連載は依然として続いている。私はこのプレゼントに喜び、感謝するとともに、この連載がまだまだ続くことを期待している。何故ならば、この連載を読むことによって、野澤会長をもっともっと知ることができ、また会長の考え、経営手腕をさらに勉強することができるからである。

この雑誌「財界」に最近、ミキハウスグループ代表・木村晧一氏に関する連載「ミキハウス物語」が始まった。ミキハウスと言えば赤色と紺色を基調とした高級子供服メーカーの会社であり、柔道を始めとする諸々のスポーツ界のスポンサーぐらいにしか知識がなく、ミキハウスグループ代表の木村晧一さんの名前も存じ上げなかった私であるが、最近は孫が生まれたせいで子供服というか子供用品に興味を持つようになり、「ミキハウス」は非常に身近な存在になっている。このようなバックグランドがあることころでの連載開始であった。

私は、このミキグループ代表の木村氏の生い立ちに深く感銘を受けたので、この欄で取り上げさせていただき、皆さんにも知っていただきたく、ペンを執ることにした。

木村代表は1945年滋賀県の生まれである。私とは誕生日も近く、年齢も一緒であった。この点も興味をそそられた一つである。木村代表は3歳の頃、小児麻痺に罹り、右足が麻痺してしまったそうである。小学校4年生までは歩行困難で、車いす生活が続いたそうである。この窮地から脱出すべく、「自分の足にどうしたら筋肉が付くか、筋肉をつけるには何をするべきか」を熟考し、自分の病気の寛解・完治・自立への糸口を模索したという。「自分の足は自分の力で治す」10歳、小学校4年生の木村少年は決意したのである。そして彼が導き出した結論は、「自分で足を動かして、自ら足に筋肉をつけていくほか、自分の病気は治す方法はない!」という結論であった。

そして木村少年は小学校高学年になると歩行訓練に入るのである。転んでも耐え、捻挫をしても耐え、激しい痛みにも耐えて・・・

やがて木村少年は、中学入学を期に歩く訓練を兼ねて新聞配達のアルバイトを始めるのである。朝3時には起き、雨の日も風の日も新聞配達は続けられた。悪い右足を庇ってケンケンしながらの新聞配達である。そして新聞配達が終わると家に帰って、制服に着替えて学校に向かうのである。中学に入ってからは車いすを使わず、生活のすべてを自分の足で歩いて頑張ったという。家から学校までの約1kmを1時間かけて・・・。中学校はいつも遅刻の連続であったという。

ハンデキャップのある木村少年の介助をしてくれた小学校時代の友達の行為は、友情ではなく同情だと気づいた木村少年の見識、筋肉増強のために行った新聞配達時代に会得したマーケティングの発想、リハビリに打ち込んだ高校時代、大学時代に心を惹かれた心理学の礎があって木村青年は昭和46年、26歳で三起商行の前身三起産業を創業したのである。EchzlzCU4AEI3AOそして1989年からオリンピックを目指す選手たちを本格的に支援している。その根底には「オリンピックへの出場を果たし、世界のトップを目指す選手は日々、激しい努力を積み重ねている。一生懸命やっている姿に感動するんですよ」という木村会長の「心」があるからだと思っている。

私も「一生懸命」「一所懸命」という言葉が大好きである。一生懸命努力している人、見えないところで頑張っている人、耐えている人達を見ると涙嚢から涙があふれ出てしまう性質なので、木村会長とは相通ずるところがあると感じている。

しかし、木村会長や野澤会長に比べて浅学菲才の私は、「財界」を読んで、先輩の野澤富士ソフト会長、木村ミキハウスグループ代表のご努力、見識、実行力に感銘し、尊敬ばかりである。しかし、自分一人で感激しているばかりでは申し訳ないので、これらのことを我々の法人職員にPRしたいと思い、活字にすることにした。「ういすたりあ」の職員も、この拙い文章、さらには「財界」の雑誌を読むことで何かを会得し、もっとお二人の会長に近づけるよう発奮してもらえれば幸いである。(参考文献「財界」・株式会社財界研究刊)

伊藤 克之

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新型コロナウイルスと戦う

3月5日は二十四節気の「啓蟄」である。七十二候では「蟄虫啓戸」(すもごりむしとをひらく)。地中で冬ごもりをしていた虫たちが、土の扉を開け広げて出てくる季節である。スミレやれんげ草が咲き始め、春らしさが増してくる時期である。しかし、神奈川県を含む1都3県では緊急事態宣言解除が延期され、私たちの「啓蟄」は先延ばしになってしまった。

私たちは、今週とその翌々週にPCR検査を受けることになった。その結果が、気になるところではあるが、換気に心掛け、三密を回避し、検温、手指消毒やうがい、そしてマスク着用を心掛けているスタッフであっても、全員が対象である。

世間には、新型コロナウイルスに感染しやすく、そして死亡する人もいれば、ウイルスに強い抵抗力を持っている人もいる。また、感染しても自然治癒力が強い人もいれば、そうでない人もいる。

この違いはどこにあるのであろうか?今回は対コロナ、対疾病に関して、私がインターネットや書籍から得た知識をまとめると同時に、昔からの持論(偏見)を述べさせていただく。

第1に言えることは、コロナウイルスに罹患しないことである。360_F_361471504_NOrN1M3Y9neDMHv2RDuRABCvMUInQkdeこれは当然で、誰もが導き出せる持論であるが、平均湿度が40%より低い地域ではコロナ発生が多いと言われている。ウイルスと言う生き物は、湿度が高いと容易に不活性化されるのだそうである。したがって、自分の置かれた環境を不快指数が上がらない範囲で、湿度の高い環境にすることである。

第2は、自らの体を免疫力の強い体にすることである。免疫細胞は、悪いウイルスを退治する強い味方である。この免疫細胞の60~70%は「腸」に存在し、その数は100~1000兆個と言われている。そして、免疫細胞は、腸に存在する「腸内細菌」の環境が良くなると元気に活躍してくれるのである。したがって、この「腸内細菌」を増やすことが「病気に強い身体」を作るミソであろう。

では、腸内細菌の環境を良くし、活躍しやすい状態にするにはどのような手段をとれば良いのであろうか? それには発酵食品を多く摂ることである。日本固有の食品としてある味噌や漬物、納豆などの発酵食品は「乳酸菌」を多く含む食品として知られている。しかし、乳酸飲料やヨーグルトなどに含まれる一般的な「乳酸菌」や「ビフィズス菌」は「通過菌」と呼ばれ、腸内に定着して増殖することはない。たとえ生きていたとしても、数日で排出されてしまう。そのため、自分の体にもともと住んでいる「腸内細菌」を守り育てることが大切であると考えている。

 

そこで、高齢であり高血圧症・糖尿病の有病者でありながら、できれば新型コロナウイルスワクチンを接種したくない私は考えた。冒頭に記したウガイ、マスク、手洗い等の注意事項の遵守は励行しても、予防注射はしたくない。それには換気、加湿を行い、食生活を改善してみようと・・・。

私はまず、糖尿病の対策としてご飯(炭水化物)の摂取を控えめにし、まずは副食の野菜から食べ始めること、そして可能な限り納豆と味噌汁はほとんど毎日摂り、毎朝食時には可能な限りヨーグルトを摂る食事をすることにした。monosiri_Illust_02_pngこの食事形態を続けることで、1年で10kg弱痩せる事ができた。毎晩、晩酌を続けての結果である。しかしビールはカロリーゼロのものを愛飲し、おつまみにはナッツや漬物、チーズやキムチ、塩辛などを好んで食べるようにしている。

しかし、心配事がないわけでもない。主治医の先生からは「休肝日を作ってください」と言われるし、毎日醤油をかけて漬物(発酵食品)を酒の肴にしているためか、塩分の摂り過ぎ?で血圧が少し上がってきたように思える。(このことは主治医にはまだ内緒にしているが・・・)

何はともあれ、現在は初回の検査後1週間間隔を空けて2回目の検査を行うPCR検査は進行中。この結果は陰性と信じているが、ワクチンは接種しようかどうか思案中の毎日である。若し私が新型コロナウイルスに感染する、又はしているようなことがあったなら、読者の皆さんは大笑いして発酵食品を肴にして祝杯を挙げてください。

伊藤 克之

「今は昔の夫婦愛」

2月3日で、新型コロナウイルスの集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンス」の横浜帰港から1年が経過した。この間、新型コロナウイルスの感染者は40万人寸前という数に上り、死者は6千人を超えた。

1年を超えるコロナ禍に、社会・経済は一変しコロナウイルスに立ち向かう我々のストレスは噴火が近い活火山のマグマのように溜まりに溜まっている。

そんな中、一服の清涼剤となる「サラリーマン川柳」(第一生命保険)が新聞紙上を飾った。

「会社へは 来るなと上司 行けと妻」

新型コロナウイルス感染者の蔓延で外出を抑制され、さらにリモートワークで在宅の時間が増えたサラリーマン家庭の様子が手に取るようにわかる句である。

このように、GO TO・・・ キャンペーンが鳴りを潜め、在宅での時間が長くなっている家庭において大切なのは、いつも変わらぬ「夫婦愛」「夫婦の絆」なのかもしれない。

夫婦の在り方を考えさせられる川柳を詠んで、私は何故かテレビのない時代でラジオが唯一の楽しみであった小学生時代に聞いた、こんな浪曲の一節を思い出した。

「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ、頃は六月中の頃、夏とは言えど肌寒し・・・」

多少歌詞は違っているかもしれないが、浪曲好きのお父さんを持つ同級生がよくうなっていた。私は今日まで広沢虎造の浪曲とばかり思っていたが、ウィキペディアによると、1875年ごろ書かれた原作者不詳の浄瑠璃であり、浪花亭綾太郎が謡う名調子で一躍有名になった「壷坂霊験記」の一節であった。 あらすじは以下のようである。

盲目の沢市は、妻のお里が明け方になると出かけていくのに気づき、「男ができたのでは」と疑い、妻を問い詰める。お里はこの三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けに行っていたと打ち明ける。邪推を恥じた沢市は、お里と共に観音参りを始めるが、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、二人は助かり、沢市の目も見えるようになる。B1101F2AED0346EDA08BBCFFEEFC90D0_L

今にあっては、稀にみる夫婦愛であり、家庭円満の秘訣はここにあると思っている。

「いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦」

「この頃は 話しも入れ歯も かみ合わず」

「妖精と 呼ばれた妻が 妖怪に」

「恋かなと 思っていたら 不整脈」 (いずれもSNSシルバー川柳)

話はがらりと変わるが、コロナ禍の影響もあって帝国ホテルが客室の一部(99室)を「帝国ホテル サービスアパートメント」として長期滞在者向けに貸し出すそうである。因みに料金は30泊で36万円程。かつては「吾等のテナー」と呼ばれたオペラ歌手の藤原善江さんや山田五十鈴さん等が長期滞在していらしたことは有名であるが、私のような凡人は「果たして如何ほど支払っていらしたのか?」と、すぐそちらの方に気が行ってしまう。

今は昔。昭和45年、私は東北の県庁所在地にある医科大学に助手として奉職したが、その時の教授がやはりホテル住まいであった。当時聞いたとこでは、教授の1カ月の支払いは約100万円ほどであったとか。因みに、当時は日産自動車の「サニー」が約100万円程度で購入できたと記憶している。

夫婦愛から話題が大分逸れてしまったが、話しを今に戻そう。私たちの青春時代に憧れたスターに「若大将」と呼ばれ、一世を風靡した加山雄三さんがいる。2020年8月末、加山さんは「誤嚥」で救急搬送された。119番通報を受け、救急車が搬送に向かった先は東京・中央区のマンションと言われているが、そこは「ケアハウス」であったという。なぜならば、2019年11月、脳梗塞を発症した加山さんは、世田谷の豪邸からケアハウスに転居していたのである。

ケアハウスがどのような施設かを学び、奥様とお二人の老後を考え、愛する奥様への負担を少しでも軽減しようと考えた加山さんの決断は、立派な夫婦愛と言えるのではなかろうか。週刊誌・女性セブンよりこの情報を得て、あえて「ケアハウス」というものに興味をもっていただきたく、また「ケアハウスういすたりあ」のPRを兼ねて、ホームページに投稿させていただいた。

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伊藤 克之

年 頭 雑 感

2020年がようやく終わり、丑年の新年がスタートをした。振り返ってみれば、2020年は中国の武漢が発生源ではないかといわれている新型コロナウイルスの伝播でスタートしたように思える。そして、このウイルスが世界中に伝染したことによって人々を震撼させ、多数の死者を出したために、人々を恐怖の底に陥れたことによる、新型コロナウイルスとの戦いの一年であったように思える。そして現在、ワクチンという人類の防御策に抵抗して、敵もさる者、変異種コロナウイルスで抵抗し、このコロナ禍は今でも増大し、世界情勢に大きな暗雲を漂わせている。

学校は休校となり、サラリーマンはテレワークとなり、休業、倒産に追いやられる店舗は増大し、リストラの憂き目にあった人々も決して少なくない。新型コロナウイルスに感染した重篤の患者を扱う医療関係者は疲弊し、医療機関は崩壊寸前の憂き目にあっている。

また、新型コロナ対策に費やされた経済出動のつけがいつ回ってくるのかも心配である。

さて、新年の明るい、夢のある話に話題を戻そう。「ういすたりあ」では、昨年のトゥオンさんに続いて二人目のベトナムからの技能実習生、ニーさんという女性が1月に入職する。すでに彼女は日本に来ているが、現在入国後の2週間の隔離期間を終えて、日本語や日本の法規、習慣、慣例さらには就業規則等の勉強を研修所で学んでいる。「デイサービスセンター・ういすたりあ」の利用者の数が増加している折、一日も早く戦力になってほしいと首を長くして待っているところである。介護技能実習生制度とは?おすすめの組合・送り出し機関を徹底調査 ...

また、新型コロナウイルスの蔓延でいくつか中止にせざるを得なかった「ういすたりあ」の行事も、今年は是非盛大に実行したいと思っている。若干縮小されたとはいえ、東京オリンピック・パラリンピックも開催されることでもあり、規模こそ違えこれに負けずとも劣らずの意気込みで取り組みたいと思っている。

また、我田に水を引くような話題になってしまうが、今年2歳の誕生日を迎える孫の健やかな成長にも夢と期待をかけている。「這えば立て立てば歩めの親心」ならぬ「祖父母心」になってしまうが、職員からは「今日も孫の入浴介助ですか?」と冷やかしにも顔をニヤつかせ、一日の疲れを癒してくれる「孫とジィジ」との入浴を続けようと思っている。

安全かつ有効なコロナワクチンや治療薬の出現を期待しつつ、今年も初笑いで、明るくゆきたいものです。

 

偏屈者の八五郎が新年の賀詞を述べにやって来た。減らず口をたたけば鬼も黙るという口達者に、家の主人が吹っ掛ける。

「よく来たハチ公。フグでも食おう!」

「俺は食わぬ!」実は八五郎、フグの毒にあたらないかと怯えているのである。

「怖いか?」フグ イラスト素材 - iStock

「怖くない!。食べ慣れていないものだから!。その代わり、足が4本のものなら、なんでも食べる」と言う。「牛でも馬でも、なんでも!」

にやりとした主人は、ここぞとたたみかける。

「それなら、炬燵にも足が4本ある。これを食ってみろ!」

八五郎も簡単には引き下がらない。

「食わないこともないが・・・」と得意の減らず口で切り返している。

「食わないこともないが、炬燵だけに『あたる』といけねぇ。  解かったかなァー・・・。

(1月3日、産経抄より)

 

家族皆で卓を囲み、おせちをつつく。「三密」を気にせず、ニューイヤー駅伝、箱根駅伝をテレビで見ながら家に来た年賀状を改め、ミカンの皮をむき、集まった親類縁者と談笑のうちに三が日を過ごす。新年は炬燵からという時代が懐かしい。403

「つくづくと ものの始まる 炬燵かな」(東の芭蕉、西の鬼貫と呼ばれた江戸中期の俳人・上島鬼貫の作品より)

伊藤 克之

 

お知らせ

この度、社会福祉法人則信会の法人情報及び経営状況を「全国経営者協議会」のホームページに掲載致しました。下記URLよりご覧ください。

https://www.keieikyo.gr.jp/member/member?id=3254

上記URLで閲覧出来ない場合は大変お手数ですが、下記URLより則信会を検索して下さい。

http://www.keieikyo.gr.jp/

『藤の花学校と萩本欣一』

ういすたりあでは週3回のペースで「藤の花学校」を開催しており、毎回20名前後の方が利用されている。毎週土曜日の開校日は固定しているが、残る2回の開校日は、施設の行事や教師役の職員の都合等で固定されてはいない。

この開校回数、開校曜日に関して、参加している方々にアンケートを依頼したところ、興味ある回答を頂戴したのでここに掲載させていただく。

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「私は週2回しか行くことができませんが、週に3回有っても良いと思います。小学校、中学校と戦争で勉強ができない時代でしたが、今では少しでも勉強が出来る楽しみや思い出が頭に浮かんできます。楽しみにしています。これからもよろしくお願い致します。」

このアンケートを読ませていただいた時、私はコメディアンの萩本欣一(77歳)さんのことが記されている記事が頭に浮かんだ。萩本さんは2015年から駒澤大学仏教学部で学んでおられる。この年齢で、またお忙しいのにもかかわらず、授業は欠席したことがないそうである。同級生の多くはお坊さん志望の若者たちであるとか。

いつでも、どこでも、自らの心掛けひとつで「学ぶ」ことは可能であり、鍛えることも可能である。「為せば成る、為さねばならぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)の教えに繋がるところがある。

また萩本さんは、「自分が年を取っていることに気づいたのは70歳の頃だとも話しておられる。確かに一生懸命仕事に没頭していると、つい自らの年齢のことを忘れることがよくある。ミスが重なってふと自分を見つめ直すと「そうか、自分もこんな年になったのだもの、こんな失敗をしでかしても仕方がないか・・・」と思い、しみじみと自分の年齢を納得することがよくある。yjimageCQ8LW34M

しかし、萩本さんはこうもアドバイスを下さっている。「階段に躓いたとき、『躓いちゃった。私も年だな』と思わないで、『この階段造りが悪いな!』と考える」のだと。

私たちの身体は、使わなければどんどん退化してゆく。筋力は基より、筋量も減少してゆく。また、運動をしないと心肺機能も衰えるため容易に肺炎を起こしやすくなり、やがては死に至るケースがよくある。さらには転倒し易くなり、骨折・入院治療の結果が車椅子対応、認知症併発と言った悪循環のケースをたどる結果にもなる。

日頃から適度な刺激、適度な運動を心掛け、yjimageVVNM7NYV健康寿命を長く保ち、一生涯現役を目指そうではありませんか!

伊藤 克之

選挙と万歳

22日、今日は日曜日。昼間は台風の接近と進路を気にしながら私どもの法人の理事会を開催し、夜は台風情報と選挙の開票状況を知るべくテレビにかじりつき、翌朝は交通状況の確認と寝不足を強いられた、週の始まりであった。

夜半になるとテレビでは立候補者の選挙事務所での当選を祝う万歳三唱が各チャンネルで映し出されていた。

過日の「天声人語」によれば、「万歳」は天皇を祝賀の場に迎える際に民衆が一斉に発する言葉として考えられたものであるらしいyjimageQMRVWOGQ。当初は「奉加」三唱が候補に挙がったが、発声練習をさせてみると「ほうがあ、ほうがあ」が「阿呆が、阿呆が」に聞こえてしまうらしい。これは宜しくないということで「万歳」になったとのことである。こうして生まれた「万歳」が、なぜ国会の解散時に発せられるのであろうか?

国会・衆議院が解散されると公示を経て選挙戦に突入する。この経費が600億円とも700億円とも言われている。これも我々の税金から賄われている。解散権を持つ首相はこの点を良く考えて、大義のない解散は軽々に行ってもらいたくないものである。

著者は忘れてしまったが、「お笑い総選挙」という著書にはこのようなことが書かれていた。立候補者は選挙ポスターに相当神経を使っているらしい。先ず神(髪)に見放されてしまうためハゲ頭のポスターは使わない(一部の例外はあるが)。yjimage[7]そのため髪の毛を増やし、目を大きくし、顎を細くする等の修正を加える人もいるらしい。過去には数十年前の写真を使った人もいたらしい。

また、選挙カーでは選挙運動をしてはいけないが、停止中の演説と走行中の連呼だけはしてもいいことになっている。そして警察は選挙事務所に出入りしている人物をほぼすべて把握しており、投票日が近付くにつれ候補者はスリムになり、内勤スタッフは大量の差し入れによって太っていく。

2004年の沖縄県北中城村の村長選挙には同姓同名の二人が立候補した。現職の喜屋武薫氏と新人の元村議会議長の喜屋武薫氏である。二人を区別するために選挙管理員会は前者をキャン村長、後者を議長カオルとして区別したという。しかし、当選したのは新垣邦男氏であった。

新聞等の選挙の「当落予想」には、「A氏とB氏は横一線で並んでいる」「A氏に勢い、B氏猛追」「支持広がる」「独自の戦い」「A氏とB氏が横一線、C氏苦戦」等の語句がよく見受けられる。「A氏とB氏が横一線」とは、A氏、B氏はほぼ同じ支持を得ているが、誤差の範囲内でA氏が優位に立っているとの意味。「A氏に勢い、B氏猛追」とは、A氏とB氏の間には相当な距離があり、B氏は猛烈な勢いで追う必要があるとの意味に解釈するのだそうである。

「支持広がる」とは、所属政党など本来の支持基盤はほぼ固めきり、他の政党支持層にまで支持が広がっていることを指すのだそうである。yjimage[1]

そして「独自の戦い」とは、いわゆる泡沫候補や自民対希望、自民対立憲民主等の一騎打ちの谷間で、ごく少数の得票しか見込めない、問題外の候補を指すのだそうである。

「A氏とB氏が横一線。C氏苦戦」との表現は、新聞社本社の調査データーのままならA,B,C,の順に優勢なのだが、地元の細かい事情を加味した支局の情勢分析ではB,A,Cの順であることを意味するのだそうである。

さて、皆さんが指示された候補者は「万歳」をなさったのでしょうか?

伊藤 克之

 

 

『ういすたりあ』に入職して

私がういすたりあのみんなと出逢ったのは今年の3月のことでした。

それは面接の場で、施設長と副施設長の2人。とても緊張していた事を覚えています。その面接で色々な質問をされました。初めは「変だなぁ。厳しいところなのかな?」と不安に思ったのですが、途中から「これだけ履歴や条件に関係ない質問をしてくるということは、人の中身を見て、人間性を重視して選ぼうとしている所なのだ」と感じました。珍しいなぁと思った反面、もしこちらとご縁があればどんなに素敵かなと思ったのです。

そして、はれて3月末からういすたりあの一員となり、私は介護の資格もなく経験もほぼない感じでの初めてのデイサービス勤務がスタートしました。しかし入職して間もなく、温かく指導してくれた先輩たちが相次いで退職されました。私は大きな不安に襲われました。それから3ヶ月間は1人でがむしゃらに頑張りました。そしてとても悩んでいました。誰かに話をするわけでもなく、自分の担当の仕事を一人でこなす事も出来ず。時間ばかりが掛かり、他の先輩たちに余計な力を使わせ迷惑をかけていると考えていました。そのせいか先輩たちの輪の中に入れず、どこか孤立しているような・・・これ以上は迷惑になるから辞めたほうが良いのではと苦しんでいました。

そんな時、入浴介助で一緒になった先輩から「何かあった?大丈夫?」と声を掛けられました。yjimage6XI95Y4S私は悩んでいた心の内を話しました。先輩は私のことを受けとめてくださり、「介護は何よりも経験を積む事が大事よ。あなたはいつも一生懸命やっている。初めはそれで良いのよ。技術などは後からついてくるものだから。何かあったら我慢しないでいつでも話してね」と励ましてくれました。

私は何も言わないのに、不安だった私に気付いて話を聞いてくださり心の底から救われました。同じ頃、施設長にも声を掛けられました。施設長も先輩と同じように私が不安で押しつぶされそうになっている事に気付かれていました。そんな私に、自分が介護職員で失敗した事や苦労した事など1時間以上かけて、アドバイスをしてくださったのです。新人で駄目な私を受け止め、無条件で認めてくれる人の温かさ、人間味にあふれた先輩達の「心」を感じさせてもらう事が出来ました。ういすたりあ の人達には偉い人とか立場、上辺の事とか抜きにした「人間味、深い温かさと優しさ」人にとって一番大切な「人を思いやれる心」を持っている人達がいる。デイサービス・訪問介護・ケアハウス・特定施設入居者生活介護・・・部署を超えた人と人の根本の繋がりを知る事が出来ました。あるとき、10年後のういすたりあの夢を施設長がお教え下さった時、近くで私もお役に立てるよう少しでも前身していきたい。施設長をはじめ、先輩達についていけたら、どんなに幸せな事だろうとその時に心が震えた事を今でもはっきり覚えています。

はずかしいことですが、この場を借りて感謝の気持ちをお伝えします。施設長をはじめ先輩方みなさん、ご利用者のみなさん、ありがとうございました。私は先輩達やスタッフの皆さん、ご利用者様、みなさんに笑顔と大きな力をもらって助けられています。どんな世界でも、どんな関係でも、人と人は心と心を通わせ繋がる事で未知に大きなパワーを生み出せると思っています。その力を信じて、今後も介護に携われたらと思います。介護の仕事は「している」ではなく、「させてもらって、お役に立たせてもらっている」という気持ち。その気持ちを幸せに感じ、目の前の人達やご家族のために、日々感謝をして笑顔を増やせるように、一生懸命、前を見続けてチャレンジしていきたいなと思っています。清く美しい笑顔をくれる皆さんへ、心からの「ありがとう」を忘れずに伝えたいです。色々な事と日々闘っているご利用者様達、そしてスタッフのみなさん、これからは一緒に悩み、共に励まし合い、一日一日を大切に楽しく過ごしていきたいです。私は、ういすたりあのみんなの事が大好きです(#^.^#)

それと、こんな私ですが、遠い夢というか目標が少し見えてきています。私は過去に大切な人が難病を患い、見守ってきた経験があります。また、デイのご利用者様が病で苦しんでいる姿も見てきて、とても悔しい思いをしました。病やケガ、医療の力ではもう治せない苦しみと闘っている方々の一人一人の「心」に寄り添いながら一緒に闘い、支えや力に少しでもなりたい。僅かでも温もりや癒しを感じてもらえるような介護士に近づきたいと思っています。そのためにも、ういすたりあで多くの経験をさせてもらいながら学んでいきたいです。

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こんな未熟な私ですが、これからもどうかよろしくお願い致します。

伊藤 恵美

 

『入職から5か月を振り返って』

出産を機に家庭に入り4年半ぶりに働き始め5か月がたちました。

久しぶりの仕事に不安な気持ちが多くありましたが、やっと生活と仕事のリズムができてきたように思います。また、社会で働くことに対してとても新鮮な気持ちで取り組むことができています。

入居者の方々のお名前も覚え、最近ではやりとりも増えました。入居者の方から名前を呼んで声をかけていただく機会もあり、とても嬉しく思います。

やりとりの中で、私自身が子育て中ということもあり、入居者の方が、ご自身の経験を話してくださることも多くあります。ある方から、「働けるうちは働かないとね。私は70歳まで働いたよ。大変だけどがんばってね。」と励まされとても力になりました。yjimage91701F0E

職員としての立場は支える側かもしれませんが、やりとりを通して、働いていく上での支えになる言葉や出来事に出会うことがあります。福祉の仕事のいいところだなと感じています。

まだまだ覚えなくてはならないことばかりだと思います。まずは、一つひとつ教えていただいた仕事を確実にできるようにしたいと思います。そして、仕事を続けていく中で新たに勉強しなければいけないことをみつけ、仕事の幅を広げていけたらと思っています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ケアハウス所属 野村 希和

 

 敬 老 の 日

長いことご無沙汰いたしました。また今月よりお目にかかりたいと思います。

9月18日は敬老の日。この日に先駆けて平塚市落合市長が長寿者のお祝いに「ういすたりあ」を訪問してくださいました。DSC_2307昨年は103歳の方と100歳の方がお祝いを受けられましたが、寂しいことに今年は101歳(大正5年6月生まれ)の入居者様1名だけになってしまいました。

約1世紀前の大正5年は、第6回ベルリンオリンピックが中止となった年であるが、この年には精神科医の斎藤茂太、プロ野球で活躍した鶴岡一人、藤村富美男が生まれている。私に文章を書くきっかけを与えてくれた栃木県那須の開業医・見川鯛山先生も大正5年生まれであった。

文壇では「出家とその弟子」(倉田百三)、高瀬舟(森鴎外)が発表され、夏目漱石は「明暗」を未完のまま世を去っている。

ちなみに明治製菓(東京製菓、大正に創立されても明治製菓である)が創立されたのもこの年であり、早川徳治氏(後の早川電機,シャープ創業者)がシャープペンシルを発明したのも大正5年であった。

新聞によれば、平塚市には100歳以上の高齢者が127名もいらっしゃる。この数は過去最多だそうである。市内の最高齢は、107歳の女性2名だそうである。巷では、「アラウンド・サーティー」、略して「アラサー」に対抗して「アラウンド・ハンドレッド」略して「アラハン」なる言葉が流行しているとか。

長寿と言っても、日本は平均寿命を香港に抜かれ、男女とも世界第2位となってしまった。これも受け売りだが、香港の長寿の源は医食同源、安価でかつ利用しやすい医療機関の充実(漢方も含む)、そして喫煙率の低下だそうである。

すでに人口減少が始まっている日本にあっては、平均寿命の伸延よりも健康寿命を延ばすことを心掛けたいものである。「生涯現役」を目標に!

それには、1~2cm歩幅を広げた歩き(時にはゆっくり、時には早く)を心掛け、不道徳ではあるが紙クズを丸めたゴミはゴミ箱から離れた場所からゴミ箱に投げ入れる訓練、そして回想法を取り入れた「ういすたりあ」の「藤の花学校」の参加などをお勧めしたい。

yjimageC29JFV2Tさらには日常からテクテク(適度な運動)、カミカミ(三度の規則正しい食事を、よく噛んで食べる)、ニコニコ(心の健康)、ドキドキ(五感を使った感動)も心掛けたいものである。

伊藤 克之