お休み処「わびすけ」

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「もう、プッ!さん」の「おんなの半生」

春、桜の季節である。湘南地方は「ソメイヨシノ」が満開の時期に入学式を体験できる幸せな地域である。

長く続く桜のトンネルをくぐり、桜の花びらのシャワーを浴びて、娘は小学校に入学した。学校が始まると間もなく、担任の先生からこんな問いかけがあった。yjimage[1]

『この一週間、皆さんは大変お利口さんでした。皆さんは、学校にも大分慣れてきて緊張感もとれてきたと思います。いつも大きな声で「はい! はい!」とお返事ができ、先生は大変うれしいです。お利口さんです。では、皆さんはお家ではどうでしょうか? お家でも「はい! はい!」ってママのいうことを何でも聞いていますか? 皆さんのお家では、ママのいうことを一番よく聞くのは誰かな?』

すると娘は大きな声で答えた『先生! もちろん、パパで~す!』

 

ある時、子供の成績表が配られた。娘の成績表を見ながら父親は言った

「なんだ、これは! 零点ばかりじゃないか! で、今度はどんな言い訳しようっていうんだね?」

「えーと、いま迷ってるところなんだけど・・・ 遺伝のせいにしようかな、それとも環境のせいにしようかな?」

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娘は育ちがよいせいか、トイレに行くのも恥ずかしがっている。ましてや人前で放屁などしようものなら、自殺まで考えそうである。しからば、我慢にガマンを重ねた「屁・wind」は、どこへ行ってしまうのであろうか?

我慢したオナラは、大腸から吸収されて血液中に入る。そして、体内を巡り、一部は尿に溶け込んだり、肺を通じて呼気として口から出てくるのである。人前に「ゲップ」をするのは、慎みたいもである。

ここでチョット注意を払っていただきたい。賢明な読者は「屁・wind」の フレーズをお忘れではありますまい。私が東北に旅行した時のことである。バスガイドさんから聞いた話しなので信憑性は定かではないが、皇族の方々は「屁」のことを「オマタかぜ・お股風」とおっしゃるのだそうである。まさに皇室では「屁」のことまで英語を使って会話をなさっているのである。

 

 

娘が中学、高校と成長するにつれて、いろいろな特徴を持った同級生が現れてきた。

人を見下して眼中におかない、いわゆる「屁とも思わぬ人」

他人に対して何一つしない、いわゆる「屁も噛まさぬ人」

過ちをしでかした後で取り繕うとする、いわゆる「屁を放って尻窄め(シリツボメ)」の人等々である。

こんな環境で成長した娘は、いつしか臭才(秀才)とよばれるようになり、看護師を目指して看護学校を受験した。

試験官が彼女に質問した。

「十倍にも膨張することができる人間の体の部分はどこでyjimageK9R58LH3すか?」

「それは・・・それは・・・あのー、口に出して言えません。」

「そうですか。それでは私が答えを言いましょう。それは目の瞳孔です。さて、これは試験とは関係ありませんが、老婆心ながら忠告しておきましょう。あなたは想像力のたくましい方のようですが、人生であまり大きな幻想を抱くのは禁物です」

花見酒に酔って屁(へ)ンな文章を書いてしまった。彼岸のギ・ド・モーパッサン(仏・作家、劇作家、詩人)もさぞお怒りのことと思う。斯く言う私も屁ン人(変人)と自覚している。

伊藤 克之